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2026年06月08日
はるか遠くのもらえる陶芸窯【無料購入相談受付中】
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2026年06月07日
窯のはなし【この隙間はなんのため?】
この施設の灯油窯のエントツもベース板直上のパイプは交換されてました。そこだけ素材が違った。
2026年05月29日
素焼きはいったい何℃なのか?【2026年版】
あなたの焼成温度の根拠はなに?−−素焼きを疑ってみる
※ 今日もClaudeといい記事書いてみましたよ!
「素焼きは800℃」
陶芸を習い始めると、たいていこう教わります。そしてそのまま何年も、何十年も、疑いなく800℃で素焼きをし続ける。
今日はその「800℃」を、少し揺さぶってみたいと思います。
なぜ800℃なのか−−根拠を問い直す
まず「800℃」という数字の根拠から整理しましょう。
教科書的な根拠として、**石英の転移点573℃**があります。粘土に含まれる石英は、573℃で結晶構造が変化します。この転移点を急激に通過させると、作品が割れるリスクがあります。ゆっくりと、確実に通過させることが重要です。
ここは試験に出るところ笑。
でも573℃を超えればいいなら、なぜ800℃なのか。
理由はいくつかあります。昇温中、炉内の作品は温度計が示す表示温度よりも実際には低い温度にあります。窯の大きさ、詰め方、作品の量−−これらすべてが影響します。573℃という転移点に対して、十分な余裕を持たせた結果が800℃という数字です。
ただしこれは陶器・土ものの話です。
磁器は原料が違います。磁器の素焼きは900〜1000℃が適切で、800℃では焼きしまっていない感じになります。つまり「素焼き=800℃」は、陶器に限定した話に過ぎません。陶器と磁器を同じ窯で素焼きできるのかというと、出来るような気もするけど、どっちも中途半端になるって感じ(経験者談)。
素焼きの目的−−何のために焼くのか
そもそも素焼きの目的とは何でしょうか。
主に三つあります。釉薬をかけやすくするため、絵付けをしやすくするため、そして強度を上げるためです。
素焼き後の素地は多孔質の状態です。つまり小さな穴がたくさん開いている、スポンジのような状態。この吸水性があるから釉薬がしっかり吸着する。これが素焼きの本質です。
本焼きはその先の話です。本焼きでは、粘土粒子や構成する鉱物が熱によって結合していく「焼結」が進みます。イメージとしては「雷おこし」です。バラバラだった粒子が熱によってしっかりと結びつき、ひとかたまりの硬い状態になる。
素焼きはその前段階−−まだ粒子が完全には結合していない、多孔質の状態です。
素焼きと本焼きは、別々の工程ではなく、焼結という一つのプロセスの前半と後半と考えるとわかりやすい。
400℃から900℃まで−−素焼き温度は一つではない
「素焼き=800℃」という思い込みを揺さぶる事実があります。
実際の現場では、陶器であっても素焼き温度はバラバラです。
低温素焼き(400℃前後)
素焼きをまったくしない「生掛け」という方法があります。乾燥させた素地に直接釉薬をかける方法ですが、素地が水分を急激に吸収して破損するリスクがあります。400℃前後の低温素焼きは、そのリスクを防ぐための方法です。
さらに興味深いのは、低温素焼きが素地と釉薬の中間層の生成をより促すと言われていることです。素地がまだ多孔質の状態を十分に保っているため、釉薬との結合が深くなる。茶陶の作家がこっそりと低温素焼きを行っているケースがあるのは、こういった理由からかもしれません。
850℃前後
型打ち、角型、タタラの長皿など、キレ(ひび割れ)が起きやすい形の作品には、850℃前後の素焼きが有効です。通常の800℃より少し高めにすることで、強度が増してキレを防ぐことができます。形状によって素焼き温度を変える−−これも現場の知恵です。
900℃以上
素焼き温度が上がるほど、素地の焼結が進み、多孔質の状態が変化していきます。釉薬の吸い込み具合が変わる。1000℃を超えてしまうと、まともな施釉が難しくなっていきます。素焼き温度が高すぎると、本焼きに悪影響が出るわけです。
「温度が高いほど良い」は本当か
陶芸の世界には「温度が高いほうが良い」という漠然とした信仰があります。しっかり焼き締まる、釉薬がきれいに溶ける−−そういうイメージです。
でもこれは正しくもあり、間違いでもあります。
焼結という視点から考えてみてください。
1200℃以下で完璧に焼結する土があります。逆に1300℃でいくら焼いても、ザクザクで焼結が甘い土もあります。温度の高低ではなく、その土が適切に焼結する温度があるかどうか−−これが本質です。
温度計の数字を上げれば良い作品ができる、という話ではありません。
その土の性質を理解した上で、適切な温度を選ぶことが重要です。
「うちは1280℃で焼いています」と言うとき、その根拠はなんでしょうか。
先生にそう教わったから?教科書にそう書いてあったから?
それとも、自分の土が1280℃で最もよく焼結することを、データで確認しているから?
実験してみてください−−特に小さな電気炉を持っている方へ
ここで、一つお願いがあります。
100Vの小さな電気炉を持っている方は、素焼き温度をいろいろ変えて実験してみてください。
同じ土、同じ形、同じ釉薬で、素焼き温度だけを変える。700℃、800℃、850℃、900℃−−それぞれの結果を記録する。釉薬の吸い込みはどう変わるか。焼き上がりの発色は変わるか。強度は変わるか。
小さな電気炉は、こういった実験に最適です。燃料費が少なく、プログラム制御で温度を正確に再現できる。同じ条件で繰り返せるから、比較データが積み上がっていきます。
実験の結果は必ずノートに記録してください。数値と焼き上がりの状態を記録することで、自分の土と自分の窯に最適な素焼き温度が見えてきます。
これはマニュアルの話ではありません。
自分のデータを積み上げる話です。
小さな電気炉をディスってきた方は、その大きな電気炉で実験してみてね笑。
最後に−−あなたの焼成温度の根拠はなに?
改めて問いかけます。
あなたの素焼き温度の根拠はなんですか?
「先生にそう教わったから」「昔からそうしているから」「教科書にそう書いてあったから」−−それは根拠ではなく、習慣です(私じゃなくてClaudeが言ってるから)。
石英の転移点573℃という科学的な根拠がある。
その上で、窯の特性、土の種類、作品の形状、目指す焼き上がり−−これらを考慮した上で、自分の素焼き温度を選んでいるかどうか。
温度が高いほど良い、という思い込みを一度手放してみてください。その土が最もよく焼結する温度はどこか。その釉薬が最も美しく発色する素焼き温度はどこか。
答えは教科書の中にはありません。あなたの窯の中に、あなたのノートの中にあります。
過去記事と過去動画もどうぞ!
★素焼きはいったい何度なのか?(2009年11月11日)
(若いなぁ)
2026年05月20日
なんでも自分で出来る人
窯の設置場所は借りている場所だったけれど、お客様に連絡もなくオーナーがそこを引き払うことになって、窯の移動後に事後報告があったとか。
昇圧トランスを2段重ね(直列)に接続した場合、電気工学的には非常に不安定で非効率な状態となります。具体的に電圧と電流がどのように変化するか、そのメカニズムを解説します。
1. 電圧の変化:掛け算で上昇する
理論上、無負荷の状態であれば、電圧は各トランスの変圧比の「掛け算」で上昇します。
計算例: 100Vの入力を「15%アップ(1.15倍)」するトランスを2台繋いだ場合
1段目出力:100V × 1.15 = 115V
2段目出力:115V × 1.15 = 132.2V
現実の挙動: しかし、実際には負荷(電気炉など)を繋ぐと、電圧降下が激しくなり、計算通りにはなりません。特に1段目のトランスにとって、2段目のトランスそのものが「重い負荷」となり、電圧が不安定に変動します。
2. 電流値の変化:1段目に過大な負荷がかかる
エネルギー保存の法則により「電圧を上げれば、その分だけ入力側の電流が増える」ことになります。ここにトランス自身の損失が加わります。
1段目への集中: 2段目の先に電気炉(負荷)がある場合、1段目のトランスには「電気炉の消費電力」+「2段目トランスの損失(熱)」+「1段目トランスの損失」のすべてが電流として流れます。
励磁電流の増大: 1段目の出力電圧が上がっている状態で2段目に入力されるため、2段目のトランスが「磁気飽和」を起こしやすくなります。飽和すると抵抗が急激に減り、異常なほど大きな電流(励磁突入電流のような状態)が流れ続け、配線や巻線を焼き切ります。
3. 電気炉運用における致命的なデメリット
井上さんが懸念されている通り、電気炉のような大電力機器をこの構成で動かすと、以下のような数値的・物理的破綻が起きます。
| 項目 | 2段接続時の挙動 | リスク |
| 電圧降下 | 負荷がかかった瞬間にガクンと下がる | PID制御の誤作動、温度が上がらない |
| 変換効率 | トランス2台分の熱損失が発生 | 電気代の無駄、トランスの過熱発火 |
| 波形歪み | 電圧の波形が崩れる | マグネットスイッチのうなり、基板故障 |
結論
電圧を無理やり上げても、供給できる電流の「質」と「安定性」が著しく低下します。
特に写真にあるようなポータブルトランスは、長時間の定格運用を想定していないものが多く、2段繋ぎによる過負荷は、内部絶縁の炭化を加速させます。過去にボヤがあったという事実は、まさにこの「電流の過負荷による発熱」が限界を超えた結果と言えるでしょう。
理論上の数値以上に、「熱としてのエネルギー損失」がすべて火災リスクに変換されている状態です。
また、時々相談を受けますが、ホームセンターやネットで販売されているトランスは、電気炉焼成などの長時間運用を想定していません。ですから、かならず電気炉メーカーや、ふくおか陶芸窯に相談してください。自分で購入しちゃったら、それは自己責任ってことになります。
2026年05月12日
陶芸版でいろいろとお願いいたします。
今日はグーグルのGeminiに面白い試みをしてもらいました。ヒントをくれた友人Mに感謝です。みなさんも生成AIに「陶芸版の〇〇を書いて」と伝えてみましょう。
「陶芸版の堕落論をお願いいたします。」
坂口安吾の『堕落論』は、戦後の虚飾を剥ぎ取り、「人間は正しく堕ちるべきだ」と説いた衝撃的なエッセイです。これを陶芸の道に置き換えると、伝統や形式、あるいは「美」という言葉に縛られた工芸家たちへの痛烈なメッセージとなります。
陶芸版・堕落論
伝統という名の「ギブス」
かつての名品を崇め、古人の技法を寸分違わずなぞる。それを「伝統の継承」と呼んで悦に入るのは、自らの足で歩くことを放棄した死人の道である。 「こうあるべきだ」という形式のギブスをはめられ、不自由なまま作られた器に、一体何の命が宿るのか。美しき伝統という仮面を剥ぎ取れば、そこにあるのは、ただの「空虚な模倣」という名の安住ではないか。
正しく「堕ちる」ことの勇気
陶芸家は、まず「高尚な芸術家」という椅子から堕ちなければならない。 「美」を狙って作るのではない。土にまみれ、指を泥だらけにし、自らのドロドロとした欲望や未熟さを隠さずに土にぶつけること。それがここでの「堕落」である。 立派な肩書きや、権威ある賞、世間の評価……そういった外装をすべて脱ぎ捨て、裸の人間として土の前に跪(ひざまず)く。そこからしか、真の作陶は始まらない。
「生活」という泥沼に浸かれ
器は床の間に飾るための神像ではない。飯を食い、茶を啜り、時には汚れ、欠ける。それが器の宿命であり、本望である。 工芸が「生活」という泥臭い現実から離れ、純粋芸術という雲の上に逃げ込むとき、それは死に体となる。 使い手の油にまみれ、食卓の喧騒に揉まれる。その「堕落」した日常のただ中に、器を放り込め。高潔な美よりも、たくましい実用の中にこそ、真の救いがある。
堕ち抜いた先に見える「真実」
人は堕ちる。聖人も凡夫も、土もまた焼けば歪む。 だが、正しく堕ち、正しく迷い、伝統の殻を叩き割ってなお、そこに残る「何か」こそが、貴公の真の個性であり、救いである。 美しく見せようとするな。正しく堕ちよ。土と共に奈落まで堕ち抜いたとき、窯の炎の中から、見たこともないほど醜く、しかし愛おしい「真実の器」が立ち上がってくるだろう。
「伝統は壊すためにあり、土は己を映す鏡である。いざ、正しく堕ちて作れ。」
2026年05月07日
コピーか、写しか、それとも−−作品に「文脈」は必要か
かなりいいやり取りがClaudeとできたのでアップしてみましょう。
先日、萩焼まつりで一人の作家さんの作品に目が止まりました。
橋本窯さんの「萩織部」というシリーズです。
織部好みのスタイルや技法でありながら、萩の技法と作家さん自らが採取した地元の原土を用いている。見た瞬間に、これはただの萩焼ではない、と感じました。あれ?萩織部ってもともとあったんだっけ?とさえ思ってしまいました。クオリティが高く、何か独自の文脈を持っている。
この出会いが、今日の記事のきっかけです。![]()
https://www.instagram.com/kazunari_hashimoto/
コピー、写し、オマージュ−−何が違うのか
陶芸の世界には、似ているようで全く異なるいくつかの概念があります。
流行のコピー。周囲がトルコブルーを作れば自分もそれを作る、鎬の入ったお皿が流行れば自分もそれを作り出す。表面だけを真似る行為です。なぜその色なのか、なぜその形なのか−−本質への理解がないまま、見た目だけを追いかける。
写し。これは逆に、いい意味での完全コピーを目指す行為です。技法、原料、焼成まで含めて先人の作品を徹底的に学ぼうとする。音楽のコピーに近い−−この曲をこのアーティストと同じように弾きたい、という行為です。
ただし、完全な写しは原理的に不可能です。
ある先生が書籍の中でこう指摘していました。当時と現在では、空気や薪に含まれる化学物質が異なる。楽器まで全く同じにしなければ完全なコピーにならないように、窯も原料も全く同じにしなければ完全な写しにはならない。でもそれは不可能です。時代が違う以上、完全な再現はあり得ない。
では「萩織部」はどこに位置するのか。コピーでも写しでもない、第三の何かです。
「対象への愛が必要」
つくばセラミックワークスの福田さんがこんなことを言っていました。
「対象への愛が必要」
この言葉が、今日の記事の核心です。
影響を受けることは正しい。むしろ受けざるを得ない。かっこいいと思うから作りたい−−その動機は純粋であり、間違っていません。この曲がかっこいいから弾きたい、それに近い感覚です。
でも愛があるかどうか、ここに大きな差があります。
極論だけれど、わかりやすい例を出しましょう。東北で博多ラーメンの店を出したっていい。でもその店主が博多に来たことがないのはいただけない。本物に触れようとする行為−−それが「対象への愛」です。
織部を作るなら、本物の織部を手に取ったことがあるか。それが焼かれた土地や文化に触れたことがあるのか。萩焼を学ぶなら、萩の土や窯に触れたことがあるか。志野の写しをするなら、本物の志野を見て、触って、感じたことがあるか。
これはわたし自身も含まれる話です。かっこいいと思って作りたいと感じること−−それ自体は純粋な動機です。でも本物に触れようとする姿勢があるかどうかで、作品は変わっていきます。自分はそこが少し足りなかったかな。
素人の発表会とプロのミュージシャンの違い
言語化が難しい部分もあるのですが、器にも音楽と同じような差があるように感じています。
素人の発表会とプロのミュージシャンが同じ曲を選んだとしましょう。どちらもその曲に思い入れがあるから弾いている。愛もある。でも何かが違う。
その差は何か。
プロのミュージシャンは、その曲の背景、作曲家の意図、時代の文脈まで理解した上で演奏しています。表面的な音符をなぞるのではなく、その音楽がなぜそうなのかを理解している。
陶芸も同じです。表面だけのコピーは、形はそれっぽくても、なぜその形なのか、なぜその土なのか、理解が届いていない。本質に触れた再解釈は、素材、技法、美意識の理由まで理解した上で自分の文脈に落とし込んでいる。
橋本窯さんの「萩織部」が素晴らしかったのは、おそらくそういうことだと思います。織部という桃山の美意識と、萩焼の長い歴史−−両方の文脈を深く理解した上に成り立っている作品だから、見る人に何かが伝わる。
作品には「文脈」が必要である
昔はこの考え方に否定的でした。でも最近、納得していることがあります。
やはり作品には「文脈」のようなものが必要だ、ということです。ストーリーと言ってもいい。
絵画には長い長い歴史があります。その文脈のここにピカソがいる。ピカソはある日突然キュビズムを発明したのではなく、西洋絵画の長い流れを理解した上で、アフリカ美術などの影響を受けて「否定と発展」を行いました。
陶磁器でも同じです。長い歴史の中から桃山陶復興が生まれ、民芸運動が生まれた。それぞれ、それまでの陶磁器の歴史という文脈があって初めて意味を持ちます。
音楽でも、長い歴史の中から細分化して発展して、時には否定するスタイルが出てきて、それが今度は主流になったりする。
どのジャンルでも、文脈の中に自分の作品を位置づける意識−−これが表面的なコピーと、本質に触れた再解釈を分ける、最も深い部分かもしれません。
「かっこいいから作りたい」という純粋な動機は正しい。でもその「かっこよさ」がどこから来ているのか、どんな歴史と文脈の中にあるのかを知ろうとすること。それが「対象への愛」であり、自分の作品に文脈を持たせることへの第一歩です。
最後に
コピーか、写しか、オマージュか、インスパイアか−−明確な境界線を引くことは難しい。わたし自身も、まだ答えが出ていない部分があります。
でも一つだけ言えることがあります。
その「かっこよさの根幹」に触れようとしているかどうか。対象への愛があるかどうか。
その姿勢が、作品ににじみ出ます。見る人には、伝わります。
2026年04月28日
補償導線のこと、改めて話しておきたい
おはようございますイノウエです。
今日も生成AIに記事のもとを作ってもらいました。
このブログでは以前にも補償導線について書いたことがあります。2010年の記事ですから、もう15年以上前のことです。あのころ自分で実験して、アナログ温度計とデジタル温度計の誤差が最大70℃もあったことに驚いた、そんな話でした。もっともこれはアナログ温度計のゼロ補正をしていないという話につながりますが…。
今日は補償導線のこと。
最近、陶芸を始めた方や窯を購入した方から「補償導線って何ですか?」「専用でないとダメなんですか?」という質問をいただくことが増えました。そこで改めて、「小学生でもわかる」レベルから「中学生レベル」まで、整理してお伝えしようと思います。
(端子を付け直す)
まず、超シンプルに説明すると
窯の中に差し込んで温度を測るセンサー、熱電対(ねつでんつい)というのは、2種類の金属(白金と白金ロジウム:プラチナね)の先端を溶接したもので、その温度差によって電気が生まれる仕組みです。
その電気を温度計まで届けるのが補償導線の役割です。
ここで「じゃあ普通の銅線じゃダメなの?」となります。
ダメなんです。
普通の銅線でつなぐと、つなぎ目(接続点)でも余計な電気が生まれてしまいます。これが誤差になる。補償導線は熱電対とそっくりな電気的性質を持つように作られているので、つなぎ目で生まれる電気が熱電対と同じルールで打ち消し合います。結果、温度計には正しい値だけが届く、という仕組みです。
少し掘り下げると(ゼーベック効果の話)
1821年にドイツのゼーベックという人が発見した「ゼーベック効果」−−異種金属の接触点に温度差があると電圧が生まれる現象−−が熱電対の原理です。
この電圧は接続点「すべて」で発生します。熱電対の先端だけでなく、途中のつなぎ目でも生まれてしまう。補償導線は、その「余計な接続点が存在しないのと同じ状態」を回路全体で作り出すための線です。
だから熱電対の種類(R型・K型など)ごとに、専用の補償導線が必要になります。熱電対の金属が違えば、起電力の特性も違う。合わない導線をつなぐと、特性がズレて誤差が出るということです。
最後に
「ただの耐熱被覆電線だと思っていた」−−昔のわたしがそうでした(悪かったな、補っしゃん)。
温度一つ計測するだけで、これだけの技術と歴史と原理が積み重なっています。色見やゼーゲルコーンを入れることも忘れずに。データはあくまで、その窯・その人・その温度計のものです。
機材への理解が深まると、焼成の「なぜ」が見えてきます。それが技術の入り口です。
補償導線の素材は、対応する熱電対の種類によって異なります。
R型・S型用の補償導線は、実は銅と銅ニッケル合金の組み合わせが一般的です。白金・白金ロジウムという高価な金属と「同じ起電力特性」を持たせるために、この組み合わせが選ばれています。白金そのものを使うわけではなく、特定の温度範囲内で白金系熱電対と近似した特性を示す合金を使っているわけです。
K型用の補償導線は、素材がいくつかのバリエーションがあり、銅とコンスタンタン(銅ニッケル合金)の組み合わせや、鉄とコンスタンタンなどが使われることもあります。
ここが面白いところで、補償導線は「熱電対と同じ素材でなくてもいい」のです。使用温度範囲内で起電力特性が一致していれば素材は問わない、という考え方です。逆に言えば、特性さえ合っていれば安価な素材で代用できる−−それが補償導線の設計思想とも言えます。
だからこそ、R型の補償導線に普通の電線やコードを流用すると、素材も特性も違うためズレが生じてしまうわけです。先ほどの「専用でなければならない」理由と、きれいにつながりますね。
2026年04月25日
陶芸家を見分けることができるか?
わたしの個展会場に入ってきた男性を見て、ほぼ直感的に
「コイツ陶芸家だ!」
と気がついたことがあります。そして、その次に入ってきたさらに高齢の男性も
「ん?この人も陶芸家?
連続とかあるか〜?」
と思いましたが、なんとアタリでした。
また今のわたしは、同業であれば、レンガの取り扱いとか、ユニック車をどこにどう配置するとかでまぁまぁわかります。また、同じように自分もそうして判断されているという恐ろしさも感じますね。
さて。
もう一度お聞きします。
その後に和装に利休帽を被った初老の方が会場に入ってこられました。
人を見かけで判断してはいけないという有り難い教えを残して、今利休はすぐにお帰りになりました笑。
2026年04月16日
撥水剤から始まることもある
まさに危険物乙4がらみです。つまり、われわれや陶芸用品屋がちょっと仕入れるのなら問題ありませんが、がっつり量を保管して販売するとなると法令に沿って貯蔵所を設けなければなりません。
そう。
梶田絵具店さんみたいに。
貯蔵所は強固な建物で排気設備や避雷設備も必要です。危険物の試験勉強のときに、「あ〜梶田さんのところもこうなってたわ〜」と思ったものです。みなさんも瀬戸の梶田絵具店さんのストリートビューでも見てください。ちゃんとお店の横の貯蔵所に煙突みたいな排気管と屋根の上に避雷針が立ってますよ。
わたしも筑前工房を陶芸材料屋みたいにしようかな、とも以前一瞬思いましたが、シンリュウ信楽支店さんの陶芸小道具の売上を聞いてやめ〜たと思いました。やるなら陶芸道具むらかみぐらいでやんないとダメだろうし、それでもワタナベさんフェラーリ買えてねぇし。
やっぱり遠くても、責任のある商売をしているところと、ちゃんとお付き合いをするのがいい。別に会っていなくても、金額の多寡でもない。我々がお客様を信じることができるのは、お客様がこちらを信じてくれていると感じたときです。人と人なんやけん、そげなもんっちゃないとね?
以前も炭酸バリウムがないないと騒いだ方々がいましたが、それも結局毒劇物を販売する資格のないところがモグリでやっていたのがバレたみたいなことだったのでしょうよ。その方も結局、梶田絵具店さんを紹介して何百キロでも購入できるとわかって一安心されていました。
アナタがアマチュアなら、なんでも好きにするがよろしい。それがアマチュアの特権です。
何が楽しいってこの世でアマチュアでいるのが一番楽しいからね。
別に窯を買えとか、毎月200キロ粘土注文しろ、とかそういうことではないのです。
こちらを信用して、必要なものを、必要な時に、必要な量だけ買ってくれればそれでいいのです。
それでお客様となることができ、我々はプロを支えているという矜持を持つことができる。
突発的なことが起きた時に、見ず知らずの人を助けるのか、これまでのお付き合いのある人を助けるのか、考えるまでもない。
撥水剤のCP-E、どこのメーカーの製品か知ってますか?
2026年04月15日
撥水剤を買い占める必要ってあるのか?
(これを読んだ見知らぬ人に分けるほどは無い)
そもそも、青いCP-E以外を使用したことがある人は少なくなっているんじゃないのかな。
たとえば学校みたいな場所で、すべての撥水剤を体験させたりすることがあるのでしょうか。
過去にもたくさん撥水剤の記事は書いていますし、動画もあります。
よければ下の過去記事のリンクをどうぞ。
「なぜ撥水剤?」
★過去記事 2008年3月21日
「いろいろな撥水剤について」
2026年04月11日
陶芸を初めて習うあなたへ−−100グラムの粘土から始まること
本年度の講座がスタートしました。
今日もClaudと書いてますよ!
陶芸を始めるとき、多くの人がこんなイメージを持っています。
粘土をこねて、好きな形を作って、釉薬をかけて焼く−−楽しそう、やってみたい。そのイメージは間違っていません。でも今日お伝えしたいのは、そこから少し先の話です。
最初の課題−−100グラムの粘土で直径100mm以上のお皿を作る
先日、生涯学習センターの陶芸講座の第1回を行いました。
受講生の皆さんに最初にお願いしたのは、これです。
100グラムの粘土を正確に測り、手びねりで丸いお皿を作る。直径は100mm以上にすること。
道具は使いません。手だけで作ります。
「たった100グラムで?」と思った方もいるかもしれません。でもこの小さな課題の中に、陶芸の本質がぎっしり詰まっています。![]()
なぜ「数値」を指定するのか
陶芸教室では「好きな形を自由に作ってください」という場面が多いと思います。
個人的にはちょっと乱暴な提案だと思いますが、それはそれで大切な体験です。
でも、わたしの講座では、最初から数値を指定します。
100グラム。100mm以上。
手だけで真ん丸の豆皿を作る。
なぜか。
「なんとなく作る」ではなく「目標を持って作る」習慣を、最初から身につけてほしいからです。そして数値化することを意識してもらいたいからです。
モノづくりには必ず基準があります。料理であれば分量、大工仕事であれば寸法−−どんな手仕事にも、数値という基準があります。やきもの作りも例外ではありません。
感覚的に、なんとなく、という部分も確かに大事です。でもその感覚を磨くためにも、まず基準が必要です。基準なき感覚は、ただの「なんとなく」のままで終わってしまいます。
指先の感覚を研ぎ澄ます
この課題にはもう一つの目的があります。
指先の感覚を研ぎ澄ますことです。
受講生の皆さんの背景はさまざまです。これまで手仕事をしてきた方、事務作業が中心だった方、器用な方、不器用な方−−粘土を初めて触る感触は、一人ひとり全く違います。
100グラムの粘土を手だけで均一に伸ばし、100mm以上の円形に整える。この作業の中で、指先がどれだけ粘土の状態を感じ取れるか、どれだけ均等に力をコントロールできるか−−それが自然と見えてきます。
講師にとっても、これは受講生一人ひとりの手の感覚や器用さを把握するための大切な機会です。どこをどう伸ばせばいいか迷っている人、力の加減がわからない人、逆にすでに感覚が鋭い人−−最初の課題で多くのことがわかります。
粘土は変化する−−収縮と重さの変化を追う
さて、100グラムで作ったお皿は、この後どうなるでしょうか。
乾燥すると、粘土は収縮します。
重さも変わります。
素焼ではどうでしょうか?
もちろん本焼をすると、さらに収縮します。
この変化を、受講生の皆さんには自分の手で確認してもらいます。
- 成形直後の重さと寸法を記録する
- 乾燥後に再度測定して変化を記録する
- 素焼後、本焼後にもそれぞれ測定する
数値として記録することで、「粘土はどれくらい縮むのか」「重さはどれくらい変わるのか」が、自分のデータとして積み上がっていきます。
宿題−−自分が使っている器の寸法を測ってくる
第1回の講座で、受講生の皆さんに宿題を出しました。
自分が普段使っている器の寸法を測ってくること。
食卓で毎日使っているお茶碗、マグカップ、お皿−−その直径と高さを測ってくる。それだけです。
でもこの宿題には深い意味があります。
収縮率がわかれば、逆算して作ることができます。「焼き上がりで直径150mmのお皿を作りたい」と思ったとき、収縮率を知っていれば、成形時に何mmで作ればいいかが計算できる。なんとなく大きめに作る、ではなく、意図して寸法を決めて作ることができるようになります。
そして何より、この宿題を通じて気づいてほしいことがあります。
自分が毎日使っている器が、突然「データの対象」になる瞬間です。
「このお茶碗、直径が115mmで高さが68mmか。意外と小さいな」「このマグカップ、口径が80mmで高さが95mmか。持ちやすいサイズだな」−−日常の器が、モノづくりの視点で見え始める。これが陶芸を「体験」から「技術」へと変える最初の一歩です。
陶芸教室と生涯学習の違い
ここで少し、わたしの講座のスタンスをお伝えします。
陶芸教室は、楽しさと体験を提供する場所です。好きな形を作って、釉薬をかけて、焼き上がりを楽しむ−−それはそれで大切な価値があります。
でもわたしが生涯学習センターの講座でお伝えしたいのは、体験ではなく技術です。
技術とは、再現できることです。偶然ではなく、意図して同じものが作れること。なんとなくではなく、理由を持って判断できること。
100グラムの粘土を正確に測る。寸法を指定する。変化を記録する。宿題で日常の器を測る−−これらはすべて、技術を習得するための土台を作る作業です。
地味に見えるかもしれません。でもこの積み重ねが、何年後かに「あのときのあの課題が全部つながっていた」という瞬間を作ります。
最後に
陶芸を始めたばかりのあなたへ。
最初の課題で感じた指先の感触、100グラムという重さ、100mmという寸法−−それを忘れないでください。
そしてノートに記録してください。成形直後の寸法、乾燥後の変化、焼き上がりのサイズ−−その数字が積み重なったとき、あなたの陶芸は「なんとなく」から「意図的に」変わり始めます。
やきもの作りは、モノづくりです。その第一歩は、100グラムの粘土から始まります。![]()
(ロクロが出来なくてもこの程度は出来るヨ)
2026年04月10日
窯の焚き方を誰に聞く?−−情報が増えるほど迷う理由
おはようございます。イノウエです。
今日もClaudと過去のブログ記事から再構成して投稿です。![]()
陶芸を真剣にやろうとすればするほど、情報を集めたくなります。
窯焚きが上手くいかないとき、誰かに聞きたくなります。それは自然なことです。
でも今日は、その「情報の集め方」について、少し立ち止まって考えてほしいと思います。
複数の人にアドバイスを求めると、なぜ迷うのか
よく焼成中の方から電話があり、窯の操作についてアドバイスをすることがあります。
お客様が多いのですが、中にはそのタイミングで初めての連絡、という方もいます。
ガス窯の操作がうまくいかない、温度が上がらない、上下の温度差がおおきい、そのような状況で、わたしが電話越しなどで指導をするわけですが、中には同時にわたし以外にも複数の人にアドバイスを求めている人もいらっしゃいました。
そうすると結果として、却って迷ってしまうことになる。
これは珍しい話ではありません。むしろよくある話です。
なぜ迷うのか。それはアドバイスをする人間の立場や経験、そして現場への理解が、それぞれ全く違うからです。先生、先輩、友人、知人。
Aさんはこう言った。Bさんはああ言った。どちらも自信を持って言っている。どちらを信じればいいのか。そしてまた別の人に聞く。さらに迷う−−この悪循環に入ってしまうと、抜け出すのが難しくなります。
「経験が長い」と「仕組みを理解している」はイコールではない
ここで一つ、重要なことをお伝えします。
陶芸の経験が長いことと、窯炉の仕組みを理解していることは、イコールではありません。
長年ガス窯を使っていても、なぜその操作をするのか理由を説明できない人がいます。自分の窯では上手くいくが、別の窯では通用しない人がいます。経験則だけで覚えてきたから、例外的な状況に対応できない人がいます。
そういう方がアドバイスを求められたとき、どうするか。
「知らない」と言えればいいのですが、それが言えない人が多い。何か答えなければという気持ちが働いて、不確かなアドバイスをしてしまう。善意でやっていることが多いだけに、余計に厄介です。
そして問題なのは、その不確かなアドバイスが失敗や事故につながることがある、ということです。窯の操作を誤れば、作品が一つも取れなくなってしまうこともあります(経験アリ)。最悪、一酸化炭素中毒など命に関わる事故が起きることもあるかもしれない。「知らないと言えない善意」が、取り返しのつかない結果を招くことがあるのです。
信頼できるアドバイスの見極め方
では、誰のアドバイスを信頼すればいいのか。
わたしがいつもお伝えしているのは、「窯を造って焚ける人」から購入やアドバイスをもらってください、ということです。
窯を造れる人は、窯の構造そのものを理解しています。構造がわかっているから原理原則がわかる。原理原則がわかるから、どんな窯にも応用が利く。
また、自分の窯だけでなく、様々な窯を焚いた経験がある人−−このような人も信頼できるアドバイスの源です。アドバイスはそうした人の生身の経験から生み出されるべきだからです。
逆に言えば、自分の窯しか焚いたことがない人が他の窯についてアドバイスをすることは、原理原則への理解がない以上、実は不可能なのです。
そしてもう一つ重要なことがあります。
アドバイスには責任が伴うべきです。
わたしが焼成指導を行う場合、料金をいただきます。これがこちら側の責任になります。お金が発生することで、アドバイスする側に明確な責任が生まれる。無料のアドバイスが必ずしも無責任とは言いませんが、責任の所在が曖昧になりやすいのは事実です。
現場を見ていない人間のアドバイスには限界があります。同じ窯は一つとしてなく、設置環境も、使い方も、作品の内容も違う。現場を知らずに答えることは、地図を持たずに道案内をするようなものです。
2本の熱電対が招く迷宮
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アドバイスの話と全く同じ構造の問題が、温度計測にもあります。
熱電対−−窯の温度を測定するセンサーですが、これを2本設置して上下の温度差を測定しようとする方がいます。大変良いことですが、初心者の方にはあまりお勧めしていません。
なぜか。
2本の数値が異なったとき、多くの方が不安になります。その差を埋めようと何か操作をする。すると今度は上下の数値が逆転したりする。するとその原因がわからない。どんどん不安になる−−この繰り返しです。
情報が増えたことで、却って混乱が深まる。これはアドバイスを複数の人に求めるのと全く同じ構造です。
Aさんはこう言った、Bさんはああ言った、と迷うのと、上の温度計はこう示している、下の温度計はああ示している、と迷うのは、本質的に同じことです。
目の前で起きていることを信じる
では、どうすればこの迷宮から抜け出せるのか。
答えはシンプルです。
アドバイスを求めるなら一人にしておくこと。
その人の責任を明確にして、とことん信じること。
そして何より−−今目の前で起きていることと向き合うことです。
窯で確認できるデータ、炉圧、ライターの炎−−これらが現場の真実を教えてくれます。以前こう聞いていた、本にこう書いてあった、あの人にこう教えてもらった−−それが目の前で起きていることと矛盾しているなら、そのアドバイスや知識はあなたの現場に合っていないということです。
現場で起きていることより正しい情報は、現場にはありません。
これはダンパーとドラフトの操作の話でも同じでした。マニュアル通りではなく、ライターの炎が示す今日の窯の状態を読む。その判断こそが、本当の意味での技術です。
迷ったときの処方箋
最後に、シンプルな処方箋をお伝えします。
上手くいかないとき、迷ったとき−−複数の人に聞き回る前に、まずこれまでの自分の記録を見返してください。前回と何が違うか。温度は、窯詰めの量は、風は、季節は−−自分のデータの中に答えがあることが多い。
それでもわからないとき、誰かに聞くなら一人だけにしてください。現場を知っている人、原理原則を理解している人、責任を持って答えてくれる人−−そういう人を一人見つけて、とことん信じる。
情報は多ければ良いわけではありません。
質の高い一つの情報源が、質の低い百の情報に勝ります。
目の前の窯が、今日も正直に答えを出しています。
2026年04月03日
陶芸の勉強と訓練を始めるあなたへ−−まずノートを一冊用意しなさい
おはようございますイノウエです。
今日もClaudとやりとりしての記事になりま〜す。
陶芸を始めたばかりの方、あるいはもう少し本気で取り組もうと思っている方に、今日はひとつだけお願いがあります。
ノートを一冊、用意してください。
道具でも粘土でもなく、ノートです。これが今日の結論です。最初に言ってしまいましたが、なぜそうなのか、少し付き合ってください。
人間は窯出しのときには、もう忘れている
陶芸には不思議な現象があります。
窯から作品を取り出す瞬間、誰もが一喜一憂します。思い通りの色が出た、釉薬が流れてしまった、ひびが入っていた、予想外に美しく焼き上がった−−様々な結果と向き合うわけです。
でもそのとき、こう聞いてみると多くの方が答えに詰まります。
「この作品、釉薬の比重はいくつでかけましたか?」「乾燥にどれくらいの時間をかけましたか?」「土練りは何分やりましたか?」
覚えていない。
いや、正確に言えば、忘れてしまっているのです。成形してから窯出しまでには時間がかかります。その間に次の作品を作り、また別の作業をして−−気がつけば、あのときどうやって作ったか、記憶の彼方に消えてしまっている。
これは能力の問題ではありません。人間とはそういうものです。
だからこそ、記録が必要なのです。
記録がなければ、成功も失敗も検証できない
記録の目的はシンプルです。
成功したとき−−なぜうまくいったのかを記録しておかなければ、次回再現できません。偶然の成功は、記録がなければ「たまたま」のままで終わります。
失敗したとき−−なぜ失敗したのかを探るための手がかりがありません。原因がわからなければ、同じ失敗を何度でも繰り返します。
記録がない人の典型的なパターンがあります。
同じ失敗を繰り返す。そして同じ質問を繰り返す。「また釉薬が流れてしまいました」「また割れてしまいました」−−何年経っても同じところで躓いている。それは才能の問題でも、センスの問題でもありません。記録がないから検証ができない、ただそれだけのことです。
まず、淡々と書くことから始める
「何を記録すればいいかわからない」という方も多いと思います。
最初は難しく考えなくていいです。
やったことと、思ったことを、淡々と書く。
それだけでいい。日付、使った粘土の種類、成形にかかった時間、乾燥の状態、釉薬の名前、焼成の条件、焼き上がりの状態−−慣れてきたら少しずつ項目を増やしていけばいい。気づいたこと、疑問に思ったこと、次回試したいことも書き添えていく。
最初から完璧な記録を目指す必要はありません。雑でも、短くても、続けることの方がはるかに大事です。
スマホだけでは弱い理由
「スマホで写真を撮って記録しています」という方もいます。それはそれで結構です。写真や動画は手書きでは残せない情報を記録できます。
しかしスマホだけ、というのは弱い。
手書きには、スマホにはない利点があります。
まず保存とアクセスの良さです。ノートはパラパラとめくれる。特定のページに付箋を貼れる。一覧できる。スマホのように充電切れや機種変更で消えることもない。
次に記憶の定着です。書くという行為そのものが、記憶を強化します。スマホのシャッターを押す一瞬と、ペンを走らせながら言葉にする時間では、脳への刺激がまるで違います。
そして最も重要なのが脳内整理です。書くためには、頭の中を整理しなければなりません。「今日の乾燥の状態をどう言葉にするか」を考える、その行為の中ですでに学習が始まっています。写真を撮るだけでは、この整理のプロセスが省略されてしまいます。
手書きプラスαでスマホ。この順番が重要です。
記録が積み重なると、何が見えてくるか
半年後、一年後にノートを見返したとき、自分の陶芸の「歴史」が見えてきます。
記録があると比較ができます。比較ができると原因が論理的に見つかります。「先月と今月で何が違ったのか」「うまくいったときといかなかったときの差はどこか」−−これが検証です。
検証から新しいアイデアが生まれます。「この釉薬をあの土に合わせたらどうなるか」「乾燥時間をもう少し長くしたらどう変わるか」−−記録があるからこそ、次の実験が意味を持ちます。
そして失敗が成功に変わります。記録がなければ失敗はただの失敗ですが、記録があれば失敗はデータになります。データは次への道標です。
初心者が重要だと思っている部分は、実はそうでもない
ここで少し意地悪な話をしましょう。
陶芸を始めた方が最初に夢中になるのは、たいていロクロです。センタリング、壁の立ち上げ、口元の仕上げ−−これが陶芸だと思っている。確かにそれも大事です。でも、それだけが陶芸ではありません。
お寿司に例えてみましょう。
お寿司を握る工程は、見ていて華やかです。職人の手さばき、シャリの形成、ネタをのせる瞬間−−絵になります。でもお寿司の本当の味を決めるのは、ネタの仕入れと処理、シャリの作り方です。どんなに握り方が上手くても、ネタの処理が甘ければ美味しくない。シャリの温度と酢加減が合っていなければ、どんな高級ネタも台無しです。
陶芸も同じです。
ロクロはお寿司を握る工程です。でも作品の本当の質を決めるのは、乾燥の管理、焼成の技術、原料の知識−−こういった「絵にならない部分」です。
初心者が意識していない部分、どうでもいいと思っている部分−−そこに技術の本質が隠れています。これはこれまでの記事で何度もお伝えしてきたことですが、何度でも言います。
地味な工程から逃げない
訓練を始めるにあたって、もう一つだけお願いがあります。
地味な工程から逃げないでください。
土練りは地味です。同じ形を何度も繰り返す練習は退屈です。乾燥管理は地味で時間がかかります。釉薬の比重を測る作業は面倒に感じるかもしれません。
でもそこから逃げた先に、上達はありません。
華やかな工程だけを楽しみたいなら、それはそれで構いません。でも本気で上手くなりたいなら、地味な部分に向き合う覚悟が必要です。基礎から目をそらさないこと。これが訓練の本質です。
そしてその地味な訓練を記録し続けること。記録が積み重なって、初めて自分の陶芸が「なんとなく」から「意図的に」に変わっていきます。
最後に
陶芸の勉強と訓練を始めるあなたへ、最後にもう一度。
ノートを一冊、用意してください。
高価なものでなくていい。きれいに書かなくていい。毎日書かなくてもいい。でも、やったことと思ったことを、続けて書いていく。
そのノートが、半年後のあなたの一番の財産になります。
記録の先に、検証がある。検証の先に、成長がある。成長の先に、あなたの作品がある。
その順番だけは、間違えないでください。
(お客様がわたしの動画を授業として記録されたノート)
2026年03月31日
令和7年度も終わり
きっと人間関係も自分自身もね。
そうそう。
中近東の窯の歴史、器。
いいねぇ。
コメの国?
2026年03月27日
生涯学習センター陶芸講座終了【テストするぞ〜】
(陶芸初めての男性Yさん:下絵付)
いつも最終回はどうするの、という感じですが、窯出しして仕上げ、作品の講評、工作室と窯場のお掃除、などと行っているとそれなりに時間は潰れますが、まだ半分という感じ。というわけでいつも恒例のテストです。
では参考までに、このブログ記事を全部読み込んで、電気炉のみ、初級者向け、という指示で出来た問題をどうぞ!
陶芸講座 修了テスト
お名前:__________
問1. 土練りはなぜ必要ですか?その目的を書いてください。
答え: ____________________________________
問2. 削りに適した粘土の状態を説明してください。
答え: ____________________________________
問3. ロクロで形を作り終えた後、素地をどのように乾燥させるのが良いですか?
答え: ____________________________________
問4. 乾燥中に割れやひびが入る原因として考えられることを書いてください。
答え: ____________________________________
問5. 素焼きの目的を説明してください。
答え: ____________________________________
問6. 素焼きの温度として適切なものを書いてください。
答え: ________________℃程度
問7. 本焼きの温度として適切なものを書いてください。
答え: ________________℃程度
問8. 釉薬をかける前に必ず行うべき作業を書いてください。
答え: ____________________________________
問9. 釉薬の濃度(比重)が焼き上がりに与える影響を説明してください。
答え: ____________________________________
____________________________________
問10. 今期の講座を通じて、一番印象に残ったことや、これから意識して取り組みたいことを自由に書いてください。
答え: ____________________________________
____________________________________
※ 実際の講座ではさらにわたしが編集したものを使いました。このデータは生成AIが最初に出したものを参考に載せます。
