まぁまぁハードな週の後半でしたので週末のロクロ動画アップはお休みにしましが(毎週アップだったのか?)、次はちょっとまたホワイトボードでのお話動画にしようかと考えています。
いろいろと指導してきた方々を思い出していた中で、そもそもロクロの前に手びねりというか、ロクロだけではなく、粘土という柔らかい素材に対して、指や手のセンサーがどの程度その人(もしくは自分)にあるのかを確認する必要がある、あった、のではないかと最近考えています。
特に男性の場合、手びねりでそっと摘んだ粘土が伸びるのを感じ取れていない方が結構多かったように思います。「作業としての手の動き」ではなく、「粘土の状態を感じ取りながら手を動かす」は大違いです。
この感覚、はじめから出来ている人には「?」という話です。
でも指導の現場でそういう方に多く接した経験のある方は思い当たる節があるのではないでしょうか。
もちろん、そんな方々をどうこう言っているわけではありません。
このワタシも訓練校に入ったときには前者、出来ないし、感じ取れない側でした(片思いにも気付いてあげれなかった)。
焼成の経験もなく、作業としての手の動きさえうまく出来ない。
そしてそれのどこがダメなのかわからない。
こう書くとどうしようもない人間のようにも聞こえますが(笑)、実際にはそういうアマチュア作陶家の方、多いと思いますよ。
いまこれをお読みになって「いるよね〜。まぁ俺は大丈夫だよ!」と思っている方は危ないです(笑)。
ワタシがそうだったから間違いない(笑)。
作業を覚えるということが様々な仕事であります。
でもその目的や原因、理論や原理を教えてもらえることは案外と少ない。
でもその目的や原因、理論や原理を教えてもらえることは案外と少ない。
そんな中で職業人としてのキャリアを積み上げていくと、出来るけれども見えていない人になる恐れがあります。職場ではそれで問題ありません。そこには事故や過ちをおこさないようなルールや規定があるからです。
例えて言えば、クルマの免許をもっているけれどもハイブリッドの仕組みどころか、2ストローク・4ストロークの意味も、ディーゼルエンジンの原理も知らないということです。それでも運転免許と道交法、道路インフラが発達しているから問題ありません。
これを陶芸の世界に置き換えて考えれば、電動ロクロを回してものを作るのは、自分で(乗用車本体とは言わないまでも)サスペンションを一から開発して製造するようなことなんです。
これを陶芸の世界に置き換えて考えれば、電動ロクロを回してものを作るのは、自分で(乗用車本体とは言わないまでも)サスペンションを一から開発して製造するようなことなんです。
陶磁器はこれまでの人生で散々使ってきたし買ってきた。なにを今さらという部分もあるでしょうが、それを乗用車に置き換えるとこういう感じだと思うんです。
乗用車の話をつづければ、そもそもサスペンションとはなんぞやとなれば、まずはバネということらしいのですが、なんとなくダンパーと絡めて、いきなりサスペンションを作り出してしまうことが多いとか。本来クルマごとのバネレートが決まらなければ減衰力もはじき出せないわけで、これは順番の話ですね(男子ついてこい!)。
さて、体落としのようにロクロの話につなげれば、粘土が変形するという工程とその原理を確認しておかないと、永遠にゼロなロクロ技術になる恐れがあります。そしてそれを商売なんかにしてしまうともう取り返しがつかないかもしれません。
初めての長期アルバイトでもそうですが「仕事わかってきた、今の俺イケてる!」と思っている時が実は一番仕事が中途半端なものです。
初めての長期アルバイトでもそうですが「仕事わかってきた、今の俺イケてる!」と思っている時が実は一番仕事が中途半端なものです。
先日動画のコメントにも書いていただきましたが、言語化できるということは大切です。
言語化できるということは書けるし話せるということでもありますから、今一度粘土のことを勉強するのも大切だと思います。
そして、自分の経験からも言えることですが、粘土やロクロに触れなくても、上達のために出来ることはたくさんあります。
筆を持つ、落書きする、指のストレッチ、スポーツをする、楽器を弾く、ペン習字などなど。
たとえばアナタはフリーハンドで30センチ程度のきれいなまん丸の円を紙に描けますか?
器用かどうかは脳ミソの問題です。
脳ミソは身体を使ってしか変化しないものだと思います。
ロクロはロクロと考えず、全てがリンクしていると考えるようにしてみましょう。
そう思うだけで家事も仕事も趣味もつながっていくし、全てに面白さを感じ取れるようになります。それは無理というのであれば、せめて電動ロクロと手びねりぐらいは繋げてほしいといつも願っております。