8月に個展をします。
わたしの仕事のペースで考えると、あまり時間がありません。去年は4月の今頃には個展を意識した窯を焚いていますから、かなり遅れてはいます。
しかし、これまでの経験から、焦ってもいいものを生み出すことはできない、とわかっているので、今このブログを書きながら陣痛に耐えているところです。
わたしは、やきものの街、愛知県の瀬戸でやきものの基礎を学びましたが、その後は、あえて窯造りの仕事を6年ほどしました。そのことは今でも大変いい選択だったと思っています。しかし、作陶技術だけをいえば、その期間を製陶所で過ごしたり、自分で作品を作り続けた人に比べると、劣っている部分が多いのは仕方のないことです。
以前はそのギャップをどうにか埋めようと、焦っていましたが、去年の個展のあとから、どうもそういう技術は自分に必要ないのではないか、とも思うようになってきたのです。自分には、というか個人作家には必要ないといえるかもしれません。
数年前に、友人から「一つ一つ微妙に違うのがいいよね。」と言われたことがあります。わたしは同じサイズに仕上げるために努力をしていたので、そういわれたときに大変ショックでした。
しかし、そのころより技術が進んだ今となっては、あれは案外、陶芸家にとっては褒め言葉だったのかな、と思っています。考えてみれば、あなたは揃い物が欲しいときに手作りのものを買うでしょうか?機械と型で作られたものを買うのではないでしょうか(つまりデパートなどで売られている器などです)。
陶芸家の仕事とはなんでしょうか。
器をつくるだけならば、今更そういう人種が出てくる余地はありません。窯の仕事をしているころ、何十年も、毎日毎日湯飲みだけを作り続けている会社や、箸置きだけをつくっている工場など、量産の現場をたくさん見てきました。そして、そういう工場は日本中にたくさんあります。今ではアジア各国から輸入もされています。
いまさら、新たに誰かが器をつくることが必要でしょうか?
実はスランプになって、延々とこういう考えに陥ってしまったことがあります。もちろん今は、この仕事に自信を持って取り組んでいますから大丈夫ですが、はまった時には、なかなか抜け出せませんでした。この答えは、結局お客さんとの出会いの中ででてきたのですが、意地悪してここには書きません。でもヒントを書いておきます。
たとえば、お茶を飲むだけなら、紙コップでいいと思いませんか。洗い物の時間とコストを考えたら、すべてこういうものを使ったほうが意外とお徳ではないでしょうか。少し極論すぎましたが、どうですか。こういう部分を突き詰めていくと見えてくるものがある気がしませんか。
人間は自分の感性に、なんらかの栄養を与え続けなければ生きていけません。そんなことはない、などという人がいたら会って・・・会いたくありませんね。その栄養分の中の一つに、自分の器や作品があればわたしの仕事は成功なのです。
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