このところ電動ロクロを使用せずに、手びねりでつくっています。
わたしの作陶上の性格は生真面目で、作品に硬さがあると指摘されることが多く、いままでそのことで悩んだりしていました。粘土で作ったものに、硬さや柔らかさがあるのか、という方もいらっしゃるでしょうが、硬い器とやわらかい器を並べれば、誰にでも一目瞭然です。それは形がゆがんでいるとか、ゆがんでいない、ということではなくて、もう作者の性格に起因しているものです。ですから、まあどうしようもないとも言えますね(笑)。
しかし、硬いからだめということもなく、同じようにやわらかいのが全ていいというわけでもありません。
前にも書いたかと思いますが、わたしは訓練校を卒業してから、窯を造る仕事を先に選びました。同期が製陶所などで仕事をしていたときに、土に触ることなく溶接やレンガ積みの手元などをしていたため、作陶技術は未熟なものです。
そういう人間が電動ロクロをするとまあ、硬い硬い。このところ随分ましになってきてますが、最近は無理にやわらかさを出そうとは思わないようになりました。
窯屋の時代、一日仕事して、帰宅後にロクロを回すというのは、やはり無理がありました。かならずどちらかが犠牲になりました。また当初は自分のロクロもまだ手に入れていませんでしたし、住宅事情もあり、断念して釉薬の勉強と調合を先にはじめたのです。そして作陶をあきらめたのかというと、やはりあきらめきれないのです。
そんなときに、手びねりの作品を発表している作家が意外といることに気付きました。ある作家さんは雑誌の別冊というかたちで技法書も出していました。さっそくその本を買ってみました。そこにあった「手びねりはどこでもできる」という言葉に釘付けになってしまいました。わたしはそれまで、自分が作陶できない理由を、住居環境や、仕事、家族のせいにしていたのです。情けないことです。
早速、ベランダに放り出していた粘土を練り直し、台所で玉つくり、手びねりをはじめました。まず粘土のお団子をつくり、指で穴を開けて、手でつまみながら薄くのばし、器をつくります。ところが、そんなシンプルな技法なので、なかなか使える器というのができないんです。当時のものは福岡へ引越す時に処分してしまい、今では埋立地に埋まっていると思いますが、手びねりで散々つくりました。
指と手、粘土。それだけなんです。道具もほとんど使用しない。わたしは電動ロクロよりも、かなり先に手回しロクロを持っていましたが、それも使いません。あえて何も道具は使用しないと決めて取り組んでいました。楽しかったですね。作ったものは会社の窯で焼きました。そうやって窯を造る仕事とは別に、焚き方もおぼえていきました。
やがて引越して、専用の部屋をアトリエとして整え、そこで電動ロクロも使用できるようになりましたが、よく手びねり、特に玉つくりをしていました。もちろん今でもてびねりをするのは好きです。電動ロクロよりも時間も労力もかかりますが、その土にむかっている時間が大切だと思うのです。今度の個展に、初めて手びねりの器を出そうとおもっています。台所で最初のぐいのみを作ってから7,8年がたちますが、どれぐらい進歩したのか・・・。
さきほど、これを書く前に「ひねる」という言葉を調べてみました。こうして言葉の意味を調べて見ると、「手びねり」とはうまい言葉を当てたものだなぁ、と少し感心してしまいました。
ひね・る 【▼捻る/▼拈る/▼撚る】
(1)指先でつまんで回転させる。軽くねじる。
(2)体の一部をねじって回す。ねじって向きを変える。
(3)首を締めて殺す。
(4)手間どらずに簡単に相手をやっつける。
(5)深く考える。
(ア)考え出す。
(イ)(「頭をひねる」の形で)良い考えを生み出そうと、一生懸命考える。知恵をしぼる。
(ウ)(「首をひねる」の形で)問題が解決できずにあれこれ思案する。また、提出されたものが受け入れがたくて、どう処置したものかと思案する。首をかしげる。
(6)あれこれ考えて普通とは違う物にする。趣向をこらす。
(7)あれこれ考えて俳句などを作る。
(8)つねる。
(9)小銭を紙に包む。おひねりを作る。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
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