動画はエグい内容になったのでボツにしてブログ記事とします。
これまで受けた相談の中で、本音はこれなんだな、というお話が数件ありました。
いろいろと理屈、理由があるのでしょうが、みんな好きなことしてお金も稼げればいいかな、ということでしょう。けれどそんな甘い話はありません。
そもそも高い技術や知識を持って取り組んでいても陶芸作家として生活出来る人はほんのひと握りです。売れっ子と言われるような人でも売上が数百万円という世界です。年収ではありません、売上です。
悠々自適の生活を送り、好きな陶芸をして、経費分ぐらいは売れて、たまにはちょっとした売り上げがある月もある。
そういえば好き放題に暮らしているのに、年金には全く手をつけていない状態が続いているなぁ。
いいですね、そんな生活。
それが実現するほど甘くありません。
それならば陶芸家だらけということになってしまうでしょう。
どこかの自治体を巻き込んで資金を確保しようとしたり、高齢者の施設で作陶させて、その売り上げを目論んだり、これまで様々な話や相談を受けましたが、本当に甘く考える方が多いのには驚きます。
自分で窯を焚くこともできない、釉薬の成り立ちや調合方法も知らないし、経験していない。菊練りさえまともに出来ていないのに、どうしてそれを還暦を過ぎて仕事にしようと思えるのか、わたしは理解に苦しみます。
商社で営業職だったわたしの親父も、定年後に飲み屋をしたいと夢想していましたが、おふくろに止められました。それでも開業に必要な資格取得や申請は行って、メニュー開発や原価計算などはしていたようです。流行の最初期から蕎麦打ちもしていましたし、そもそも料理好きでした。それでもちょっと無謀かなとわたしも思っていましたが。
高齢者のための作業所をつくりたい、という話など、昔の精神科の治療法で陶芸をしていたことからの誤認されたイメージなのでしょうか。リハビリならまだしも、なぜ現金収入のための手段が陶芸なのか理解に苦しみます。
素人の高齢者集団が売り上げを確保したいなら、ほかにいくらでも方法があります。材料の取り扱いが難しく、技術習得にも時間がかかり、乾燥や焼成などの不確定要素が多い陶芸はリスクが多すぎます。
また、自分でお金を払っていない設備や材料をどれだけ人が粗末に扱うかも経験していないから分からないようでした。
わたしなら、みんなでアクションペインティングやアクション書道みたいなことをワイワイと作業着汚しながら運動やリハビリとして楽しんで、それを素材として切り取りながらデザイナーなどとTシャツや文房具などのアイテムを開発して販売するのが一番いいとその場で思いついて話しましたが、とりあってくれませんでした。
極端なことを言えば陶芸は馬鹿にされています。
料理の経験のまったくない経営者が、素人の高齢者を10名ぐらい集めて料理屋を開き、経費プラス一人あたり二、三万円の利益を確保するなんて、あきらかに無理ですし、まっとうな修行をしてきた料理人を馬鹿にしていると思いませんか。
だけど陶芸ならいけそうだな、と思う人が多いのはなぜでしょうか。
わたしの周囲で中途で陶芸作家になれた人はみな会社や役所を辞めた人だけです。
案外と高収入だった方も多かったからか、元の収入に届いている人はいません。
しっかりと定年まで働いて退職金ももらい、それから年金ももらいながら陶芸を仕事にするなんて、そんな甘い考えはやめましょう。その年金の原資をどうにかこうにか払っている陶芸家に恨まれます(笑)。
人の作品を見ても、こんなの俺でも作れるぜ、と思うタイプの方が多いのでプロの作品を買うこともありません。手元に無いので人と自分の作品の比較検討なんかしませんから、ここからすでに悪循環のはじまりです。
自分がこれまでの人生で器に使った金額以下でしかその人の作品は売れません。
脱サラしていないと、この感覚がわかりません。最初は投資したお金や時間しか回収できません。そしてそれは金額ではなく、割合です。
年収150万円の時に買う3万円の器や1万円以上の専門書の重みです。サラリーマンで1000万円もらっていた人の感覚でいけば2〜30万円ぐらいの茶碗とか10万円ぐらいの書籍やセミナー代の感覚です。
そのお金が出せない若い時なら勉強として薪窯の手伝いをするとか、数年修行に入ることなどです。
別に何歳から何をしても良いと思いますが、そういう方こそプロのものを手元に置き、自分も公募展などで客観的な評価を固めたほうが良いと思います。プロだって落選することはありますが、基本的な部分が欠如していれば、まず公募展などで評価されることはないはずです。
プロはみんなそんなことをしてきたのです。
それでも夢破れて辞めていくほうが圧倒的に多い。
はっきりと申し上げますが、はじめから陶芸教室の先生になりたかった人など皆無だと思います。
まぁそういう人も中にはいるのかもしれませんが、わたしは違います。ましてブログや動画での発信など、やらないで済むならやらなかったと思います。
理想通りの人生だったら、そんな暇もなかったでしょうし。
陶産地であれば、なんだかんだと陶芸っぽい仕事やバイトがありますし、周りもそういう人間ばかりいますから何となく過ごせてしまう。
しかし突然福岡県の実家に戻ったわたしは、あまりにも周囲と自分の感覚がズレていることに当初戸惑いました。
そして自分の経験と知識がどこにも役に立たずに廃れていくことに恐怖心を覚えました。
これまで人生をかけて取り組んだことはどうなるのだろう。
あの山で延々とレンガを運んで最後に指を潰しかけたこと
溶接の火花が目に焼き付いて頭を押さえつけられて手術されたこと
ゼーゲル式がわからずに毎日電卓と本を持って苦しんだこと
仕事で見たあの絵具工場の寂しい風景のこと
相馬焼の民宿の晩御飯のこと
あの煙突の先に見えた富士山のこと
やきもの業界からの発信の少なさが人の夢を砕きつつ、別な人に安直な夢を抱かせているのかもしれません。
わたしは発信します。
作るものは完全に決まったシンプルな形の何種類か、土は一種類、釉薬は買って掛ければほぼほぼ常に安定している二種類のみもしくは化粧土フィニッシュ。
完全分業制。2人は坏土や釉薬、設備の「管理」普段は土練りしっぱなし
2人は成形、ロクロは使わずに外型に内から押し付けてコロッとぼてっとしたのをポンスコ作って猫のハンコを押す。
2人は釉掛けと窯担当、釉薬は決まった濃度と時間で決まった動きをするだけにする。下2センチはふき取る。窯は電気炉、素焼き本焼き決まったパターン二種類のみ。
売り先はむしろきちんとしたものがそれなりの値段だとかえって浮いちゃうような「バザーより上だがなんだかなー」系の手作りマルシェ(ほっこり)っぽいやつ。
そういうときだけお孫さんとかの女子高生が売り子。
売り上げの一部は市の福祉施設に寄付ってのをでかでかと、役場の暇そうな部署の若いやつ(やるきある奴もけっこういる)と連携。
でイノウエさんは窯詰の管理と全体のデザインと名誉監督で売り上げにかかわらず手取り30万+家族手当は固定+α
最後が難関だなあ〜
いつもコメントありがとうございます。
そうですよね。その通りなんですが、罪なのは自分一人の作家活動ではなく、何かを絡めようとすることです。
今日丁度吉田さんが来て話していたのですが、その辺り、本当に難しいです。
しかし名誉監督で収入を得るようにいつか爛熟したいと思っております。
発信をつづけますよ!
自分が日用雑器は小さな副業という立場ということもありますが(俺が微妙なんですよ本職もヤキモノ屋だし)
作家活動も、陶芸家=それだけで生活を成り立たせる。という図式に固執する必要もないし、もっと言っちゃえば「売る」じゃなくてなんか気に入ってくれた方がいて「買ってくれた」の積み重ねでも素晴らしいと思うんですけどね。
むしろ生活基盤がありつつ夜や週末に製品作品に「怨念」や「フラストレーション」、「創作衝動」みたいな何か内在する形而上的爆発物を叩きこむほうが技術云々は抜きにして絶対いいモノ心に来るものになると思ってます。買わないにしても欲しくなるし。
技術知識なんて最低限の下手クソなネコ食器でもしみったれた根性でつくってない「ちゃんと愛のあるもの」は結構おおっと思うしかわいくていいですよ。
技術系伝統文化でも祭りのお囃子とかみんなで餅つきとか、家でおはぎ作るみたいな文化やイベントとしてのヤキモノ作り、趣味としてとか、も素晴らしいことだと思ってます。
下手クソな何か作って売るようなことよりもサークルイベントみたいな方向でのマネタイズだってチョイプラスぐらいにはできそうな気もしますが…
人に何か教えるってのは本来作家の片手間やアルバイトじゃ無理な話で、教えるトッププロってのも他の世界じゃ当たり前。「ヤキモノ作りを教える」というのもむしろそこ目指すような人が出てくるぐらいじゃないといけないんだけどね。
とにかく発信いつも楽しみにしてますよ!!