「一家に一台、陶芸窯」というキャッチフレーズを動画の最後なんかに言ってるんですが、これはですね芳村俊一さんが前に言ってたことなんですね。
四半世紀むかしの訓練校在籍時に、芳村俊一さんに会ったから私は窯作りをする決意をしたわけですが、その後いろんな芳村さんの書籍や雑誌に寄稿されてる芳村さんの文章をたくさん読んだんです。
言葉はすべて正確に覚えていませんが、その中に「理想は各家庭に小さな窯があってお母さんとかがその家族の器をその家で作って焼くような世の中になればいい」というようなニュアンスの記事があったと記憶しています。
それを読んだ当時の私はまだ20代後半ぐらいでしたので、その真意を理解できなかったと言うか、何を夢みたいなこと言ってるんだろうこの人って思ってましたね。
しかし自分がこういう仕事するようになって、本当に心の底から「一家に一台、陶芸窯」だなと思うようになりました。
芳村さんが言いたかったのは、まず「やきものは焼くとこからスタートしないと駄目だ」ということだったんですね。まず土がありきでその焼成がある、その前提で原料や粘土を選んで行かなければいけないし、決して粘土細工だけを追いかけてはいけないということです。
その言葉を芳村俊一さんが文字にした時、まだまだ夢物語だったと思います。40年、30年以上前であれば今紹介しているような100Vの電気炉はありませんでした。
でも今は本当に小さな窯の性能が高くなりました。芳村俊一さんが発信していた窯造りはどうしても薪や炭などで炎がある前提のものが多かったですから、場所を選びました。吉田明さんの七輪陶芸も難しい環境があるわけですから。
可能な方ならば火をおこして焼成してみてほしいですが、無理な方には100Vの電気炉がある。
私のお客さんの中にはマンションに住まわれてる方も非常に多いです。中には17階とか高層マンションの方もいらっしゃいますし、普通にアパートの一室でコツコツと研究や作品づくりを行っている方もいらっしゃいます。
だから今の設備からすればどんな家庭でも、それこそ「一家に一台」というのは可能なんです。
例えばわざわざその家の中でろくろを回して作らなくてもいい。焼成から逆算して、うちだったら今このサイズがあと3枚必要だな、と素焼きの素地だけ購入して、例えばお母さんと小さなお子さんで絵付けして焼成する。
一緒に窯に入れたり、窯出ししてみたり。
ほんのりと温かい窯出ししたばかりの器に自分の絵を見つける。
子供の情緒は大きく育まれるのではないかと思います。
絵付けも絵具を調合したり、調整したり筆を用意しなくてもいいのです。今は下絵用のクレパスのようなものがあります。それがスタートで十分です。
それを家族でワイワイ楽しく行ってですね、お母さんと一緒に釉薬を掛けて窯詰めする。もちろんお父さんもおじいちゃんもオバアチャンも可。
お茶碗とかカップとか子供の成長に合わせて作っていけます。
年中行事のためのもの、お食い初めの器はおじいちゃんが作る、夏休みなど時にはお父さんと一緒に粘土から作ってもいいでしょう。その器にはお母さんとおばあちゃんが料理を盛ってくれます。
いつか家を建てる時には壁などにそんな使わなくなった子供時代の器をタイルのように装飾に使う。縄文土器を例に出すまでもなく、陶磁器は永遠です。
そういう形でそれが子供の原体験として日本人に少なからずある。その子供たちがいつか家庭を持って同じように器を作っていく。そういう世の中になると本当にいいなと私も思います。
それが陶芸作家へのリスペクトになり、文化としての産地への誇りになり、陶芸講師や製陶所で働く人たちの社会的地位向上にもつながるでしょう。そうした方々の収入が上がれば就業する人も増えます。
友人の吉田崇昭さんが指摘してくれましたが、今モノを作る人たちを目の当たりにするっていうことは非常に少なくなりました。街に畳屋さんや欄間職人さんなどが「仕事をしている姿」を見なくなりました。
瀬戸の友人であり先輩でもある小川友明さんの原体験は、自分の家から見えるロクロ師のおじいちゃんの仕事場の様子だったそうです。朝から晩までロクロに向かい、お昼もロクロの前でかきこむように食べる。その簡素なご飯がとても美味しそうだったと子供の頃の記憶として残っているそうです。いかにも瀬戸の人の原体験です。
仕事をしている人を見て、その仕事に就くというようなことはまだ続いているのでしょうか。
ドラマで見る職業人はスーツ姿か警察官かシェフと看護師と医師ぐらいですけれど(笑)。
また、わたしが高校生ぐらいの時代から、学校の授業でも音楽・書道・美術というものが選択科目になってしまいました。
我々の小中学生時代であればそれは全部一週間の時間割にあったものでした。
ところが土曜日が休みになってそのしわ寄せが、本来子供の教育に欠かせない授業を削らざるを得ない状況になって久しいわけです。これは非常に残念だと思います。
私の感覚であれば、数学・社会・理科こそ選択みたいな方がいいなとかね(笑)。
極論をいえば教科で区切ること自体が多少の弊害を孕んでいるわけですねよね。その緩衝材というか繋ぎのような役目を音楽・書道・美術が担ってきたのではないでしょうか。数学と社会と理科なしにこれら三教科もまた成り立たないのですから。
例えばやきもの、楽焼なんかを中学校で行ったとしましょう。
どうして釉薬は熱でこんな変化をするのかとか、粘土はどんな地層から出るのかとか、耐火物や断熱材の開発という技術の歴史について、現在陶磁器をはじめとする窯業は日本や世界においてどのような状況にあるのか、流通量はどうなのか、輸入された原料をどれぐらい使っているのか、そこに環境破壊はないのかなど、そういう総合的な話にもなると思います。
そこに外部から専門家を呼んでもいいですよね。リタイアした技能士さんとか職人さん、試験場や業界の方などの話を聞くことの意義は大きいでしょう。
そんな授業を受ける時にですね、一度自分たちで器を焼いていれば、あの炎の熱さとか、蒸気とかそういう皮膚感覚が記憶としてあるわけです。
生徒がその皮膚感覚を持ってその後の授業を受けるのと、単に教科書を開いて日本の窯業について勉強します、というだけの座学を受けるのと、どちらがいいのかというのは言うまでもないことです。
以前にもこのブログに書いたことがありますが、子供さんのイベントに関わると、今まさに作らんとする粘土を前にして、若いお母さんが「これ今日持って帰れますか?」と聞かれるようなことが、残念ながら少なからずありました。
今どきの若いお母さんは何も知らないんだと笑ってもいいのでしょうか?
そんな質問をする人を責める資格が我々にはあるのでしょうか?
モノを作ることが大げさに言えば人類の歴史の最前線ようなものだと思うんですが(アナタのやきもの作りも!)、そういう認識の人はわたしたち世代や息子世代にどれぐらいいるのでしょうか。
ちょっと得意の脱線をしますけど、例えばスーツをビシッと着てノートパソコン持って立派なオフィスビルで働くとかっこいいなという風潮をいつのまにか作られてしまったように思います。前述のドラマの話ですね。
やきものを生業とする我々も無意識にそう思ってる部分があるのではないでしょうか。
そういえば以前お世話になった建築関係の社長さんから名言(迷言?)を頂いたことがあります。曰く、「スーツはモノを作らない人の作業着」。なるほどと思いました(笑)。
さらに脱線すると、その辺りから実際の工事現場の作業着なんかもおしゃれでカッコイイものがいっぱい出てくるようになったなと思います。たたき上げのその社長さんは自分たちの仕事着にプライドを持てと卑屈になりがちな若い方に言っていたのかもしれません。
さてさて、話を戻して。
じゃあ一家に一台の陶芸窯を普及させるためにはどうすればいいのか、ですが。
20年前の私だったらたぶん「まず土を練ってから…」とか眉間にしわを寄せて言っていたんだろうなと思います。でもそうではなくて、まず窯で焼くとこからです。
つまり焼成するところから逆に進んで行かないといけないのかもしれないと今考えています。先日の記事での「高みから俯瞰する」ということですね。
陶芸窯で焼成するには、窯詰めしなければいけない、その前に釉薬を掛けなければいけない、ならばその前に絵付けをしておかなければいけない、こんな逆行の形でもいいんじゃないかなと思います。
大事なのは観光地の絵付け体験のような安易なことではない、ということです。後で窯で焼いて送りますっていうことではなくて、とにかく一番大事な工程は焼成なんだ、と全国民に知ってもらうということと、その焼成を体験することだと思います(話が大きくなってきました)。
これまでの発信でも何度もお話ししていますが、本来やきものを勉強する順番は逆です。
一番に焼成で、何もできない時から窯を焚いた方がいいんです。芳村俊一さんなんて空っぽでもいいから窯を焚けと言っていました。
そこから逆算して自分の知識と技術を追っかけていければ良いと思います。
私はいまピアノを習っていますが、ピアノの先生の悩みとして、とりあえず安価なキーボードではじめて上手くなったらピアノを買おう、ということをよく親御さんたちから耳にするそうです。
それもやっぱり逆ですよね。
ピアノが上手くなるためには先にピアノが必要なんです。
それでも昔に比べれば質の良い電子ピアノが普及していますから、マンションでもどこでも始められるようになったはずです。
やきものの上達や指導方法についての考察、それは他の世界に置き換えれば分かるシンプルなことです。
教室に通ってなんとなく理論がわかって、たくさんその分野の本も読んで、教室で借りながら多少上達してから「自分のカメラ」を買うのでしょうか。
これも違うのが分かりますよね。ちょっと意地悪な例えですけれど。
どんなに安いものでもいいから、今ならスマホでもいいから、日々写真を撮らなければ写真は上手くはならないはずです。
そしてそれを人に見せることもSNSを通じて簡単にできるようになりました。あとは「あなたはカメラマンになったほうがいい」と言われるぐらいまで撮りまくってアップしまくればいいんです。
ピアノやカメラの例え話が、やきものや陶芸にも当てはまる、ということだと思います。
だから私はこれからも「一家に一台、陶芸窯」の世界を目指して発信を続けていきます。
記録によれば昔は小学校で野焼きをしたり楽焼をした時代があったみたいですね。
全ての学校でではないですが、そんな豊かな教育を行った時代もあったんですね。
芳村俊一さんは、その時代の小学校の図画工作の先生だった方です。その時の生徒さんの言葉から氏のやきもの研究が始まったとか。芳村さんの言葉でいまの私があります。
「一家に一台、陶芸窯」というキャチコピーには、こんな思い出と願いがあるんです。