2020年12月03日

どうすれば陶芸上手になるかしら?

仕事場を整理しておりましたら、数年前の資料がでてきました。
まぁ指導するわたしの基本的なポリシーのようなものです。

ご参考までに載せておきます。

もっとも、これを守るかどうかは受講生に任せてますけども(笑)。



木曜やきもの講座 


講師 井上誠司


どうすれば技術が上がるのか


  • 必ずノートに記録する

  • 数値化する

  • 週に2回以上の頻度を確保する

  • 各工程のつながりを意識する

  • 目標・課題をもつ

  • 自分の欠点を知り、得意を見つける

  • 理論を固めるために知識を得る


陶芸教室でよく見られる失敗


  • ロクロだけに夢中になる

  • 周りに流される

  • 行き当たりばったり

  • 根拠のない知識や技術のコピー

  • 話を聞かない・都合の良い解釈をする

  • 窯変に期待している

  • 材料や素材への無知と無関心




まどかぴあ生涯学習センターでは、これからやきものを始める方々への基礎講座として、この木曜やきもの講座を開講いたします。工作室には、そのための設備がすべて整っています。生涯学習センターはいわゆるカルチャーセンターではありません。みなさんはお客様ではなく、受講生、つまり生徒です。自ら学ぶ姿勢が必要です。週に一度の学校に通っているという認識でこの一年間、一緒に楽しく学んでいきましょう。


はじめに


どんな勉強でもビジョンを持つことがとても大切だと思います。

やきものの基礎を身につけるということが、生涯学習センターの基礎講座の理念です。具体的には、やきものの制作にどんな工程があるのかを知り、その一つ一つの基本的な知識と技術を記録し、身につけること、になります。実際、やきものの制作にはたくさんの工程があります。その基礎を1年間で修めることはなかなか難しいですから、きちんと記録を取るようにしてください。

後述しますが、やきもの作りは実は簡単です。ただ、そのやり方を正しく伝えるところがほとんどないため、世の中には、妙なイメージだけが先行しており、本当の楽しさを知っている人は少ないのです。この講座で講師はなにも隠さずにすべてお伝えしますので、どんどんと質問し、実践するようにしてください。


「陶芸」と「やきもの」


「陶芸」や「陶芸家」という言葉ができてから、実はまだ百年もたっていません。これらの言葉は現在では当たり前に使用されていますが、とても新しい言葉なのです。

みなさんは「陶芸」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。わたしは長くこの世界にかかわっていますが、これほど定義があやふやな言葉もない気がしています。

それでは「陶」という文字はどうでしょうか。これは「やきもの」という意味があります。「陶工」という言葉はかなり古くからありますし、「陶器」「陶土」などの言葉もみなさんご存知でしょう。この講座名に陶芸という文字を使用していない理由は、みなさんにイメージが人によって異なる「陶芸」ではなく、土を焼いてものを作る、「やきもの」を意識してほしいと願っているからです。

言葉は少し厳しいですが、みなさんがなんとなくイメージしたり、テレビなどで見聞きする陶芸教室というものは、実はただの粘土細工教室に過ぎないことがほとんどです。焼成の工程にかかわれないのならば、粘土で形を作ることがいくら上手になっても、それはやきものを身につけたということにはならないからです。しかし残念ながら、このことに疑問を持つ生徒や講師に出会ったことがあまりありません。

これは巷の陶芸教室だけの問題ではありません。多くの教育者、教育機関、大学の陶芸専攻の授業でも、その生徒や受講生に、まともに焼成のことを理解させているところはほとんどありません。それどころか焼成専門の助手がいたり、講師が窯焚きしたりして、生徒がまったく焼成にかかわれないところが多いのです。

また、学ぶ人のほとんども、目先の技術的なこと、主に電動ロクロなどに興味を奪われて、それを追求することが陶芸の勉強であると勘違いしてしまいます。少し器用な人なら一年ほど、普通の人でも二、三年もすればある程度ロクロができるようになります。そうなると確かに面白いのです。わたしも焼成実習のまったくない訓練校で、黙々と電動ロクロの技術を磨いていた時には、自分は今まさにやきものの勉強をしているんだ、と勘違いしながら、とても充実した日々を過ごしていました。

本来、陶芸教育は焼成を抜きにしては考えられません。「やきものを作る」ということは、粘土鉱物を高温で焼結させるという工程が絶対条件として必要です。そしてそのことを理解し、実践できなければ、どれだけロクロが上手くなろうと何の意味もありません。

わかりやすく料理にたとえるなら、キャベツの千切りだけがいくら上手になっても、それは料理が上手になったとはいいません。また本や知識の上でレシピをいくらおぼえても、料理というものの根幹を理解しているとはいえないでしょう。大切なのは下手でもいいから、温かい料理を作る努力をすることです。調理が一通りできるようになってから、必要に応じて各工程の技術を磨いていけばいいのです。

料理もそのほとんどは「加熱する」という工程があります。それを理解する一番の近道は、実際に手を動かして、料理を作って食べてみるということです。やきものならば、作って焼いて使ってみるということになります。これを繰り返すことのみが、あなたの作陶レベルを引き上げてくれる唯一の方法です。

下手な作品を窯に入れたくない、自分はまだまだ、などと思ってはいけません。確かに、はじめは失敗作をたくさん作ってしまうでしょう。しかし、それでいいのです。

すべての答えは窯で焼くことでしか得られません。なるべく様々な条件でたくさんの作品を窯に入れるようにしてください。自分がやっていることが正しいのか間違っているのかは、焼成を通してしかわかりませんこれは断言できます。失敗したら、その原因を探り、きちんと記録を残すようにしてください。

また、常識では間違っているというやり方をしたとしても、それがきちんと焼き上がって、その後も再現できるのであれば、その方法は正しいと判断してかまいません。また逆に正しいと思い込んでひたすら努力をつづけ、納得して窯に入れてみたら、その後何度も同じ失敗をしてしまうということもよくあるのです。それはただの遠回り、貴重な人生の時間の浪費でしかありません。


世間一般に言われていることを信じない


実は「陶芸」という言葉ができたのは、一人の陶芸家がつくりだしたからだといわれています。それまでの多くの陶工は主に分業で仕事をし、自分のかかわる仕事についてしか熟練していませんでした。これは今でも大規模な製陶の現場ではあまり変化がありません。ピラミッド構造の分業制度なのです。

また原料などを供給する側も、それぞれの分野に分かれています。製土、築炉、釉薬、絵具などです。これをなるべく一人で行うように腐心したのが初期の陶芸家です。それはこれまでの窯元というシステムが行っていた製造工程を、一人の人間が行うようになった、ということです。そうすることによって芸術家としての価値を高めようとしました。量産ではなく、個人の作品制作にシフトしていったのです。

また、薪の窯しかなかったやきものの世界に、さまざまな燃料の窯が開発されていきます。石炭、重油、灯油、ガス、電気などです。レンガなどの耐火物の品質も飛躍的に向上し、また新しい断熱材なども開発され、いままでになかったような技術革新がおこったのも、この百年未満のこと、ほぼ戦後のことです。ほかにも輸入原料が使われるようになったり、新たな技法や絵具が開発されたり、ほかの産業と同じようにやきものの世界もすさまじい勢いで進化していきました。現在でも日本をはじめ各国で様々な開発や技術の発展を続けています。

多くの人が抱く陶芸」へのイメージは、ほとんど時代遅れで、間違いですもちろんそのイメージを作ろう、守ろうとする個人作家や窯元も多数存在します。それはそのほうが売るためにプラスに働くと考えるからです。必要な演出という部分もあるでしょう。

しかし、やきものを学ぼうとする人がそういうイメージにとらわれることは危険です。みなさんがあるイメージをもっているということは、そうなるように働きかけ、それを支持した人々がいるからです。わたしを含めて、学校などの教育機関や陶芸教室で教わった人はほぼ全員間違った認識や呪縛を持ってしまいます。それを拭い去る努力にも多くの時間を使ってしまいます。

自分の土や窯でのみ通じる事実と、普遍的な真実、科学的な正確さを混同している人は思っている以上に多いのです。迷ったら講師であるわたしに質問し、なによりも自分が焼いたものに答えをさがすようにしてください。他人の無責任な言葉にぶれないように気を付けてください。残念ながら、書籍や技法書かたよりがあり、すべての記述が正しいわけではないということを知っておいてください。


量産の技術と作品作りに必要な技術


みなさんがこれまでの人生で目にしてきた、やきものの技法や窯元の仕事などは、ほとんど量産のためのものです。プロがそうしていたからといって、あなたが同じことをする必要はありません。

ロクロにたくさんの粘土をのせて人より早い回転で回しても、なにも偉くありません。ある意味滑稽でさえあります。よくプロが修業時代に一日千個の湯呑を挽いたなどと伝説のように語られることがあります。しかし見方をかえれば、それは哀しく貧しい労働の時代だったとも言えるのです。魚河岸でアジをひたすら開きにする仕事や、工場で延々とネジを締めるだけの仕事がありますが、それとなにもかわりません。技術をおぼえるために反復練習が必要な時期はありますが、そのために数やスピードを競う必要はみなさんにはありません。はっきり言って百害あって一利なしです。是非とも考えながら丁寧な仕事をするようにしてください。


この一年の目標


この講座で、あなたが目指すべきことは、実にシンプルです。それは一人で全工程を把握し、自分のやきものを作れるようになることです。やきものの最終段階である焼成から逆算して、そこへむかって形作りや釉薬掛けなどを行えるようになることです。

やきもの作りで最初に到達すべきレベルは、通信簿のオール2というレベルです。ある教科だけ5や4をとってもほかが1では何も作り出すことはできないのです。

やきものを作るには様々な工程があり、それぞれにおぼえることがあります。そして時間は限られています。ですからきちんとノートをとるようにしてください。最初の一年で一番大切な道具は、ロクロなどではなく、筆記用具とノートだと思っていただいて間違いありません。なにも頭にすべて記憶する必要はありません。ノートを見ながら制作していったほうが失敗は少ないものです。


最後に


やきもの作りは実は簡単です。そうでなければ一万年以上前から人類が作っているはずがありません。難しくしているのはあなた自身に植え付けられたイメージのせいであり、量産の職人を訓練するような間違ったこれまでの陶芸教育のせいなのです。

たとえば、土練り三年、ロクロ六年などという言葉もまったくのウソです。そんなお話しも講座の中でできると思います。

みなさんは、これから一年をかけて、これまでの呪縛を解きつつ、楽しいやきものづくりに目覚めてください。これから一年間、よろしくお願いします。



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posted by inoueseiji at 11:08 | TrackBack(0) | イノウエセイジの頭の中
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