2025年03月14日

米の研ぎ汁問題にアツくなるには理由がある【与太話】

「アナタ、米の研ぎ汁問題はもういい加減にして働いて!」という声は放っておいて笑。

昨日紹介した粉引の大皿は美しいでしょう。
ここぞという時に食卓に上る器なんです。
器はそうやって育っていくものだと思うのです。


さて。

あまり具体例を出すと我が身がヤバいのでアレですが。

たとえば桃山時代に作られて現代まで銘品として残っているものは、それなりに使い込まれてきた器の良さを持っているものだと思います。みなさんが、いわゆる骨董という言葉を聞いてイメージするような雰囲気の器です。カッコいいですね。


しかし。
そんな器にも窯出し直後のウブなときがあったはず。

それはわかりますよね?

現在の作家モノは、必ずしもそのウブな状態で売られるわけでもない、ということは大人の事情を知る人なら…です。

まぁとある有名な作家さんで、焼成したおびただしい数の井戸茶碗を山に野ざらしに積んで数年放置から数十年放置して、個展をするとなると改めてそこから選び取る、ということをされていた方がいます。それは一つの作品づくりの方法論であるといえますが、自然と古色付けにもなっていると思います。

他にもいろいろあって、土中に数年埋めておくとか、トチ渋につけておくとか、紅茶とか、ベンガラや鬼板の水溶液で着色するとか、あまり詳細を書くとイケない技法がいろいろとあるのかもしれません(かもしれないブログ笑)


じゃあそれが米の研ぎ汁問題となんか関係があるのか?ということになるかと思いますが。


焼成の甘さのような部分が茶碗の味や雰囲気を生み出す一つの条件にもなるのかもしれませんが、それは茶陶では良くても食器では厳しいのではないかと思います。自作の器を改善しないで米の研ぎ汁のような水漏れ防止剤を使用する考え方は、前述したあまり表に出したくない裏ワザを茶陶と食器で混同していく可能性があります。

食器と茶陶の自己主張の強度はかなり違うようにも感じています。


わかりやすく言えば、自分の求める作品の雰囲気が絶対であれば、水が漏れようが関係ありません。モグサ土で志野を焼こうが井戸茶碗を万単位で山に放置しようが好きにすればいい。ファンはそれを数万から数十万円出してありがたく購入するでしょう。

しかし一般の家庭で使われる器を一般人のお財布で購入可能な価格で販売しているのであれば、テレビで見た陶芸家の考え方よりも製陶所の考え方に近いものを採用したほうが良いのではないかとわたし個人は思います。


まぁこれはちょっと脱線しすぎなのは自覚しますが。
与太話なんでゆるしてチョンマゲ。


もう一つ、米の研ぎ汁に潜む問題点があると思います。それは窯焚きなどでもよくある、誰もそれに突っ込めない、周りがそう言っているから自分も、という状況が広まってしまい、いつの間にかそれが事実のようになってしまう、ということへの危惧です。

還元焼成について、ダンパーとドラフトの操作について、ヒーター線について、築炉メーカーについて、エントツの素材について、バーナーの調整方法について、電気工事について、温度計測について、補償導線について。

誤解と誤謬、思い違いに曲解がこれまで山のようにあったし、今も多々あると思います。
実際にわたし自身も五十を過ぎてようやく真実を知って悔しい思いをしたことがいくつもあります。最初にちゃんと伝えてくれればやったのに!とかさ。


何年も間違った窯の操作をして苦労してきた人。


間違った発信で窯の購入に不安を覚えた人。

スピーカーケーブルで温度計測してきた人。

木炭を電気炉に突っ込んでヒーター線をダメにした人。

安直なアドバイスで一窯全部パァにした人。

窯そのものを壊してしまった人。



そんな人たちは。

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誰も悪くありません。



プロだと思った人たちのアドバイスを信じただけです。

米の研ぎ汁のように。




というわけで自分のブログの中ぐらいグダグダ熱く書いておく。

ご安全に!



posted by inoueseiji at 08:34 | イノウエセイジの頭の中

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