茶碗とぐいのみは彫刻だ、と陶芸の世界では大先輩である友人から、むかし聞かされたことがあります。
誰が言った言葉なのかはもう忘れてしまいましたが、その言葉はノートに記しました。
電動ロクロで作品を作ったばあい、なるべくならば回転のアクションを残す、というか、それをあえて見せるようにするものです。
ロクロを使用して作品を作る作家は無意識にそう思っているのではないでしょうか。高速で一気に挽いてあんまり削らないのを良しとする、みたいな。外側全部削るのはだめ、未熟者。
そういう感覚は職人のものですよね。
でも逆に、分厚くロクロを挽いて(もちろん手びねりでもいいです)、それから削りまくってもいいですよね。
先ほどの価値観とは相容れませんが、形を削りだすような感覚の人や国も実際に存在しています。
日本の場合、茶碗とぐいのみ。
これぞ彫刻ということでしょう。
講座で受講生が作陶していて、よくぶれてしまうのは、なにを作ろうとしているのか、目的を明確にしきれないのと、どの技法をみせたい(または勉強したい)のか、ということが多いようです。
言い換えれば、その表現によって、なにを身につけようとしているか明確にして、作品をつくるということです。
もう陶芸も数年やってきて、だいたいのことは経験してきた。さて今度は何をつくろうかなあ、という境地の方は、あえて、技法に制限をもうけてつくってみる、といのはいかがでしょうか。
たとえば、抹茶碗か飯茶碗を2種類作り比べてみます。
● 電動ロクロの回転のアクションを見せる一碗。
● 手びねり、削りの痕跡と、そこへの釉のたまりをみせる一碗。
きっと新しい発見がありますよ。
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