2009年10月02日
焼成について、数週にわたり自分が思うことを書いています。
ここまでの焼成のおはなし、知人の方々には、非常に参考になっている、という励ましの意見をいただきました。ありがとうございます。みなさんのご感想はいかがでしょうか。
ご意見の中で知人が言っていましたが、焼成方法について細かな情報を発信している方はまだまだ少ないようですね。
情報を発信しても、けっして減るものでもありませんので、どんどん発信する方が増えてくるといいなぁ、とわたし個人は考えています。
わたし自身、限られてた知識と経験しかありません。それでも、発信することでさまざまなことが好転しているのを実感しています。
是非、みなさんも自分の仕事や焼成のことを発信してみてください。それがかならず、めぐりめぐって自身の利益になることが必ずあります。発信した情報に比例して、利息がついて戻ってきますよ。
さて今回は、陶磁器焼成の勉強方法についてです。思うように窯が焚けるようになるには、どういう順序で勉強すればいいのでしょうか。
焼成を覚えるの早道は、しっかり焚ける誰かと、何度か一緒に窯を焚くことでしょうが、なかなかそれも難しいことなのかもしれません。
また、その誰かが、偏っている経験と知識の人である場合(わたしを含めてほとんどそういう人です)、型にはめられてしまうリスクもあります。もちろん、勉強を続けていく決心のある方ならば、一度型にはまってみて、その視点から焼成を考えてもいいかもしれません。
わたしが陶芸の基本を学んだ瀬戸の訓練校では、当時も現在も焼成に関する授業は、時間的にもわずかしかなく、火入れから窯だしまでの間で、生徒が作業に関われるのは窯詰めと窯出しの工程ぐらいです。
かつて、大学に在学中に陶芸とテラコッタの授業がありましたが、生徒は制作して釉薬をかけるところまでしか作業しませんでした。もっとも陶芸科ではありませんでしたので、そのことにとくに不満や疑問は当時ありませんでした。
人から聞いた話ですが、窯業関連の学校などでは、焼成のスケジュールがすでにあって、窯場の方へ、このテストピースをこれこれの窯で焼いておいてください、という形で焼成しているところもあるようです。
いずれにしても、やはり陶芸を学ぶからには焼成を抜きにはできないと思います。
けっして特別な技術ではない焼成を、しっかりと伝えていく、そういう考えかたを持つ人がどんどん増えて欲しいと切実に思います。お偉い作家さんが、焼成をきちんと身につけている人が少なすぎる、などと憤っていたりしますが、少しは啓蒙活動してから物を言って欲しいと、わたしは思いますね。
わたしを含め、もし、あなたがなにか焼成に関して秘密にしていることがあったならば、それはあなたの作陶と窯焚きでしか通用しないと思ってまちがいありません。
なぜならば、一般的な焼成の基本から外れた要素は、窯のサイズや燃料の種類が変われば再現できないからです。
また、焼成とは、同じメーカーが同時に同じ窯を複数納めても、微妙にそれぞれの窯に個性というかズレが生じてしまうぐらい複雑なものです。わたしは試みていませんが、非常に複雑な調合の釉薬などではそれをかなり実感するらしいです。
大西氏の書籍に紹介されていましたが、同じ電気炉を工場に二つ設置していても、手前と奥の窯で焼き上がりにわずかながら差ができるそうです。
また同じ気温や湿度、当日や前日、後日の天候、窯場の風の通りなど、同じ条件はありませんから、わたしたちは最大公約数の幅のなかでスタイルを追求しているのかもしれませんね。
話は脱線しますが、古いやきものと、現代の陶芸作品でもっとも違うものは、空気中や燃料中に含まれる化学物質だそうです。
桃山時代には、大気中に排気ガスもなく、核実験もやっていないでしょうから、窯焚きの時に炉内に供給される空気はまったく別物です。
現代の作家がいくらその時代のものを再現しようとしても薪や土、釉薬に、当時存在するはずのない物質が、かなり含まれているわけです。確認できませんが、水道水も影響を与えているようです。
話をもどして。
焼成工程を知る上で、わたしがお勧めするのは、どんな窯でもいいから、まずいきなり自分が責任者として一窯焚いてみることです。
それは電気炉でもいいですし、薪窯でも七輪でもかまいません。
故芳村俊一さんに、「やきものやるなら、まず窯を造れ!」と言われましたが、その通りなのです。粘土細工はそのうち上手くなりますから。
自分で焚いてみたら、次に理論を知る努力をすることだろうと思います。
前にも書きましたが、瀬戸にいるときに、ある方に「頭が先行していない陶芸家はダメだ」と言われました。技術や経験も重要ですが、専門書(雑誌は含まず)を読んだり、論文にあたってみたりすることが大切だと、いうことです。
酸化と還元は別のもの、と捉えている人と、酸化還元反応という同時に起こる反応の片側を陶芸ではそれぞれ酸化、還元とよぶ、と捉えている人は全く次元が違います。
また闇雲に薪を投入して強還元する人と、乾燥した薪には、どれぐらい酸素が含まれているかを知っている人では、窯をコントロールする言語があるかないかぐらい違ってくるでしょう。
そして、その差は、かならず将来現れるものだと思うのです。これまで知った多くの友人、知人、お客さんなどを見ていての実感です。
窯焚きに関しては、いろんな人がいろんなことを言いますが、熱による化学反応の結果が窯焚き、作品なのです。
なかなかこう断言する人は少ないのかもしれませんが、そうなんです。
わたしもかつては、窯焚きの時だけ神頼みをし、神通力を信じ、ちょっとした出来事をジンクスのように見たりしていましたが、それは全く意味がありません。(でもまだそういうことしているかも・・・)
薪を赤松にこだわろうが、途中で酒を呑もうが、焚き口にタバコの吸殻を放り込もうが、窯場に女性が来ようが、化学反応に影響がなければ、それらは意味のないことなのです。
もちろん、他人の窯場でのマナーや、自分の仕事のスタイルを大事にするのは当然のことです。上記は極端な例ですから、念のため。
わたしが現在の知識と経験をもつことができるようになったのも、瀬戸という場所、築炉という仕事に関わったことが、かなり有利に働いているのは事実です。
しかし、出会った人たちから、経験してから物を言え、しかし経験だけではないアプローチもしなさい、というメッセージを受けて、行動したことがとても大きかったと思います。同じ場所で同じようなメッセージを受けた人はたくさんいるわけですから。
年数を重ねないとできないことは確かにたくさんあります。しかし、パジャマで寝転んで本を読んで、ノートに記録するだけでも追い越せる「経験」というものも、意外とたくさんあることも知っておいてください。
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posted by inoueseiji at 19:04
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窯と焼成に関すること
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私は今は陶芸に触れていませんが将来必ず陶芸家になりたいと思っている者です。
ユーチューブから伺ってブログを拝見させていただいております。
家庭を持ち幼い子供ともう一人来年生まれる予定で中々陶芸に関われない環境にいる中、読ませていただきまた勉強させていただいております。
記事の最後の文章に、
「年数を重ねないとできないことは確かにたくさんあります。しかし、パジャマで寝転んで本を読んで、ノートに記録するだけでも追い越せる「経験」というものも、意外とたくさんあることも知っておいてください。」
と記述があったのを見て、私は本当に勇気つけられました。
見て触って実感してきた方がおっしゃられた金言に感じられました。
いつか必ず作陶したい想いを忘れず蝉のように我慢強く花を咲かせたいと思います。
イノウエセイジ様、ありがとうございます!