浜勝ごちそうさまでしたイノウエです。
さてさて、なんだか七輪陶芸の発信が増えているようです。
とてもいいことだと思います。
では、
なぜ故吉田明氏が七輪陶芸の本を出したのか
を、ご存知の方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか?
残念ながらわたしはお会いすることができませんでしたが、氏の本や、実際にお会いしたことがある先輩などの話を総合し、さらに想像も交えて書いておきます。そのつもりでお読みください。
わたしは年齢的に雑誌の陶磁郎どストライク世代。
瀬戸に行くことが決まったので本屋さんでやきものの本でも買うかと立ち寄った時に丁度陶磁郎が創刊されたており、その第4号「瀬戸」を購入したのをはっきりと覚えています。来年オレは瀬戸にいるんだなぁと思ったように記憶しております。
その陶磁郎の編集長とのつながりにより、故吉田明氏は頻繁に「陶磁郎」や、その後の「つくる陶磁郎」に登場することになっていく。
もちろんコネだけではない。独自の実体験と実践をもとにした考察と実験がメディア向きだったということもある。
知らない人も多いだろうが、実はコッソリ「笑っていいとも!」にも出演したことがある。瀬〇瑛子のロクロ体験を実現してあげる的なコーナーで、実にきめ細かなサポートで笑顔で無言で瀬川〇子にロクロ体験をさせていたのは見事だった。生放送の数分のコーナーである。
さて、七輪陶芸の話だが、技法書や謎のビデオとか雑誌などでやまのように発信した吉田氏には、
「で、どうやって焼くのよ?」
「ウチには窯ないんだけど?」
みたいな声が届いていたようだ。
極論言えば、こうした声は今でもどの先公もとい先生や陶芸講師にも聞こえているはずである。
みんな焼成代金を取らないといけないので、ふんわりと沈黙しているのであろう。
それもよく理解できる。大人の情事もとい事情というやつであろう。
しかし、心ある人間には無視できない根本的な問題だ。
やきものは焼かないとやきものにはならない。だから、
やきものとは窯である。
焼いてこその「やきもの」なのだ。
きっと吉田氏は考えたに違いない。
何日も何日も様々なことを考えたのだろう。
自分の生い立ち、やきもの人生のスタート、火と戯れた日々、火を見くびったこと、火に怯えつつ感謝した日々を。
ある日、思わず膝を打って叫んだのかもしれない。
「七輪がある!」
日本の生活においては忘れられつつあるが、完全に忘れられたわけでもない。
あれならやきものは出来る。誰にでも出来る!
企画といっても口述で喋りまくっただけだったのかもしれないが、それは陶磁郎系列の本になる。
そしてその本はたくさんの人に衝撃を与え、瀬戸で妻子を抱えて悶々としていたイノウエに火を点けるのである。
窯が無いって?だったらさぁ
七輪で”やきもの”は出来るぜ。
それが吉田氏の言いたかったことだ。
やきものの最大のネックは窯だ。当時は特に、陶芸窯はアマチュア向けであっても大き過ぎて高価すぎるものだったのだ。
それを一番かんたんに解消するには、と考えに考えた末に出た答えが「七輪陶芸」だったのだろう。
それを実践して数年経ったときにイノウエはこう考えた。
七輪が使えない環境の人もいる。
でも100Vの電気炉なら置けるはずだ。
やきものの「焼き」を肌で感じるしかない。
教室何年の陶芸歴などなんの意味もない。
自分一人だけで、何回「焼いた」のかが「陶芸歴」だ。
電動ロクロは新品を買って窯は中古を探し回る人間には理解不能だろうが、「やきもの」から目を背けなかった人間の連鎖は、それ以外にもおびただしいほどある。
たとえば故芳村俊一氏。
情報がない中果敢に挑戦してきた国内外の作家たち。
吉田氏を鍛えてきた各産地と職人の蓄積。
専門書の著者として名を連ねる先生方。
産地を支えてきた様々な専門職や店舗の方々。
そして、それぞれの人には必ずきっかけと導きがあったはずだ。
アナタはなんでそんな仕事をしているのよ?
七輪陶芸を馬鹿にするのは勝手だ。
別に無理してやる必要もない。
ただ出来ないとか、やったことが無いなら語るなってことかな。
こっそり素焼きを別の窯とかも論外だと”あえて”ここではしておこう。
わたし個人は、七輪陶芸で素焼きが出来ない人には「そういう人」というレッテルを心の中で貼っている。かもしれない、じゃないかもしれない?という恐れあり、という話だったような、なかったような。
posted by inoueseiji at 18:20
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イノウエセイジの頭の中