七輪陶芸で有名な吉田明さんが先日お亡くなりになったそうですね。
まだ60歳だったそうで、その早すぎる死に驚いています。
わたしの瀬戸の友人は会ったことがあるそうですが、わたしはなんの面識もありません。そういう人間がブログに書くというのもなんですが、わたし個人はとても思い入れがある陶芸家なのです。
瀬戸で、仕事と家庭とにはさまれて、思うように作陶や勉強ができなかったとき、七輪陶芸、というタイトルの本はショッキングでした。
思わず本を買って、次の週末には七輪を買っていました。
福岡の友人が訪ねてきてくれたときに、一緒に借家のバルコニーで本を見ながら七輪陶芸をしました。
たしか、半分ぐらい割れたという記憶があります。それでも、楽釉ではない普通の釉薬が溶けましたから、かなり温度は上がったとおもいます。
とても2時間ではできないし、どこでもできるものではないな、と思いましたが、ここではなんにもできない、という鬱屈した気持ちが晴れ晴れとしたことを強く覚えています。
わたしはその後、絵具屋さんに教えを乞いながら、楽釉を調合したり、友人とオーブントースターを分解して電気炉をつくったり、酒屋の友人の利き酒のイベントで楽焼体験を企画したり、一気に低火度釉に手を染めていきました。
そのすべてのきっかけは、ある意味、吉田明という人の本だったと思います。
わたしとしては、友人の家にあった粉引きの本の顔と、その後の七輪や紙窯のときの顔の表情のギャップにいろいろと思うところがありました。
おそらく、尋常ではないスピードでいろいろなことを実験したりしてこられたのだろうと想像しています。
こちらで地元の友人が、古本屋にあった、といってやきものの本をたくさんくれたことがありました。その中に吉田さんの縄文陶芸の本もあって、いま市の考古学関係の方にお貸ししていますが、その説に大変興味をもたれていました。
そのように、実践をともなった吉田明氏の発表に、いつも感心していました。考古学と陶芸の懸け橋みたいな存在になっていかれるのかなぁ、となんとなく思っていましたが、突然の訃報に一読者として驚いています。
なんでも新しい土地での作陶をいろいろ計画されていた最中のことだとか。残念です。
ただ、きっと多くの人に種をまいていかれたことだけは間違いのないことだと思います。
年明けに楽焼をしますが、吉田さんの本に出会っていなかったら、楽焼などやっていなかったでしょう。
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