2010年01月31日

茶碗と桐箱


無事に12月の二人展は終了いたしました。

たくさんの方に後来廊いただきました。ありがとうございました。
たしかに、不景気なんだな(笑)、とは感じましたが、自分たちが考えた以上に良い反応と売り上げがありました。すこしほっとしています。

とはいえ、金額でいえば昨年よりも悪かったのは事実ですので、あんまりのほほんともしてられないのですが。

わたしは来年40歳になりますが、今年初めて値段をつけて抹茶碗をだしました。これが早いか遅いが知りません。しかし、わたしとしては、昨年の急須同様、茶碗は陶芸家としていつかは世に問わなければならないもの、という認識でいました。

売れないぞ、と散々脅された今年、しかも二人展でRAKU、初めての茶碗のデビュー、これでタイミングは良かったと今は思っています。

そして、これからは、毎年茶碗を発表しようと思っています。
たまたま、うちはお茶をしている家族や親類が多いのですが、それ以前に、茶碗づくりの全工程が面白いと思いました。

会期中、いろいろな人にいろいろなことを言われました。ありがとうございました。買ってくださった方々にも本当に感謝いたします。

作品を一目で楽焼と看破し、九州にもこういうことをする作家がいるんですね、とおっしゃってくれた方もいましたし、ケチョンケチョンに言われる方もいらっしゃいました。高いという人もいましたし、安いね、ほんとにこの値段、という人もいました(どっちの人も買わなかったけど)。

どんな技法も誰のものでもありませんし、わたしには、属している団体も組織もありません。そのため、これからも自分の気持ちに正直に従い、あらゆる技法であらゆるモノをつくっていくつもりです。

ある方には、陶芸家を駄目にしたのは(するのは?)抹茶茶碗だ、という言葉があるよと教えていただきました。重たい言葉だと思いましたし、その言葉の意味をずっと考えています。

答えはでませんが、茶碗はやはり、特別な器です。

最近の考えですが、やはり陶芸家は茶碗をつくるべきだし、つくった作品から茶碗になるものが見出されるべきだと考えています。

お得意の例え話、これを他の世界に置き換えるとこうです。

音楽家は、アルバムをつくるべきだし、つくった曲からアルバムになるものが見出されるべきだ。

どうです?



またまた、非常に前置きが長くなりました。

今回のお話は、そのアルバムのジャケット、桐箱です。

この二人展で、数年前から教えていただいていた箱屋さんに、ようやくお世話になることになりました。

会社に伺い、説明を丁寧にしていただきました。材質、形状、箱書き、真田紐、ウコンなどなど、たくさん勉強させていただきました。

はじめから思い通りの箱はつくれません、という言葉が印象的でした。いくつかつくっていくうちに、自分の好みの形、スタイルができるということでしょう。もちろん、おおまかな決まりはあります。でもやはり個性というか作家の考えが尊重されるようです。

価格も本当にピンからキリまでありました。茶碗自体の価格からある程度の比率で決めるのが一般的なようです。

ここまでくると、こいつは本当に桐箱に入れるべきか?などという疑心暗鬼な気持ちがでてきたものがでてきたり、また逆に、もっといい箱に入れてやりたい、というものも出てきました。

器に対して、こういう考えをするのはきっと日本人だけでしょうね。
箱屋さんでお茶をいただきながら、そんなことをしみじみと考えていました。

なにごともやってみないとわかりませんね。みなさんも、これは、という作品が出来たら、箱をあつらえてみませんか。

経験しないとわからないことが本当にたくさんありました。
「箱入り娘」のお父さんの気持ち、いまのわたしには痛いほどわかります。





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2009年10月16日

陶磁器の安全性について


先日、釉薬のことをネットで検索していましたら、「無鉛食器」という言葉が出てきました。

一体なんのことだろう、とそのページを見てみると、普通の安価な量産の白い器がたくさんありました。そこは、食器のみ、というショップではなくて、健康関連の食材などいろいろと雑多なものを売っているページでした。

要するに、健康志向の強い人に、安全無害なこの食器はいかがですか、意外と世間で流通している食器には鉛が入っていて、けっこう危ないのですが知ってました?、という感じです。


たしか2005年ごろ、大手スーパーの店頭で販売されていた、ボーンチャイナ(風)の食器から基準の3倍をこえる鉛が検出し、問題になったことがあります。

また、おなじころ、安売りされていた土鍋からも鉛が検出されたという報道があったように思います。

鉛を釉薬として使用したのは紀元前からで、その時代から、あらゆる国で使用されてきました。
わたしも楽焼をしますので、過去にこの件に関して、さまざまに調べてみたことがあります。
(といっても理系の人間ではありませんので限界はあるのですが)

鉛は元素の周期表を見てみると、シリカ(陶磁器の主成分)と同じ14列にあり、低温で容易に化合し、ガラス化します。(おお、理系っぽい説明!)

溶融温度範囲が広く、その釉薬は光沢があるなど利点が多いのです。
確かに、楽焼の釉薬の原料をもりもりと食べたりすれば、有害でしょう。しかし、適正な焼成を経た鉛釉の器は、必ずしも鉛を溶出するわけではありません。

過去に国外で、各種フリット、釉、珪酸鉛を体温に保った胃液に10日間さらして鉛の溶出量を調べた実験がありました。
(素木洋一「釉とその顔料」7.4 釉の耐久性より)

このときの溶出量はまったく問題のない量だったそうです。またこの実験から、4%酢酸液での鉛溶出試験は意味がない、ともいっています。

わたしは国が定める安全基準は必要だと思いますが、こうも思います。


 いったい、どこの誰が楽茶碗に米酢をなみなみと注ぎいれ、
 それを24時間放置してから、全部を飲み干すんでしょうかね?



上絵にしても、楽焼にしても、どうしてもこの辺の話はみんな濁してしまいます。わざわざ相手が不安になるようなことを言う必要はない、ということでしょう。

作者が誰だか分かっている場合、そのことにそこまで神経質になる必要はない、とわたしは思います。

逆に考えれば、本当に「ヤバイ」ものが、何千年も使用されるとは思えません。
鉛製の食器を使用していたような時代でも、全国540万戸以上の家庭が鉛の水道管を使用している現代でも、その利用価値は高いのです。
(安価なアクセサリー合金・バッテリー・塗料・重り・光学ガラス・航空燃料・はんだ・・・などなど広範囲にわたる)



それよりも、手仕事を値段で判断するような風潮こそ、あらためて欲しいと思います。

100円で売っても利益がでるような食器を求めた結果、製造地は海外になり、焼成温度は下げられて、挙句、鉛を使用するようになっのだろうと想像しています。安価な製品では、管理もそこまでしっかりできないかもしれません。



さて、最初に書いた、「無鉛食器」ですが、いちいち言わなくても、普通の国産食器は「無鉛」です。「無鉛食器」というのは、パンを売っている人が、うちのは100パーセントパンです、と言っているように聞こえます。

可能性のある上絵も最近は無鉛絵具になってきていますし、有鉛だったら内面に絵付けしないことが一般的だと思います。

わざわざそういうことを売る側が言い、それに買う側が反応している人がいる、というのは、それだけ買う側が無知だということです。
(HPには、そういう言葉に弱そうな人が好む商品がたくさんありました)

無知なのは、その人のせいではありません。この業界にいる人間の責任です。

なにも語らず、伝えずにきた。そのつけを払わされているのだと思います。
極端な例をだしますが、100円の食器と1万円の食器を並べてもわからない人がたくさんいるということです。はたしてそれは、買う側の無知だと言えるでしょうか。


世間の人たちは、自分が毎日使っているお茶碗が、1300℃近い炎の中をくぐってきた、ということを完全に忘れ去っているのです。

わたしは、陶、やきものというものは、炎の洗礼を受けた人類の宝物だと思います。
それを忘れずにつくり続けていきたいと、日々考えています。



まあ、100円ショップや雑貨屋の食器は知りませんが・・・。








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2009年08月31日

お盆の瀬戸リポート


お盆の期間は、法事などもかねて愛知県に行っていました。

そのときのことを書いてみます。あまり役にたたない話かもしれませんが、お付き合い下さい。

10日の月曜日から、数日間は仕事を兼ねてあちこちにお邪魔していました。

まず、電気炉でお世話になっている、岐阜の電気炉メーカーさんのほうへ。
本来ならば、まだお仕事をされている日だったのですが、今年は長めのお盆休みを県外からの社員さんのためにとったということで、社長さんお一人で会社にいらっしゃいました。
ちょっと恐縮だったのですが、逆にこういうチャンスもなかなか無いと思い、押しかけさせていただきました。

今年の自分の窯の部品や、販売した電気炉のことでご相談したお礼をし、少しお話を伺ったり、質問して教えていただいたりして、20分ほどして、「それでは・・・」と席をたちました。

2階の事務所から下へ降りたところ、社長さんが、
「工場を見ていかれますか?」と言ってくださり、
「ええ、是非!」とご好意に甘えることに。

本社工場は二棟あり、それぞれの製造ラインを社長直々に説明をして下さいました。
みなさんご存知の大小さまざまな電気炉をはじめ、電気炉のトンネル窯や、電気炉のルツボ、さらにはマイクロウェーブ炉という特殊な電気炉を見せていただきました。

正直なところ、大変な刺激を受けました。

特にマイクロウェーブ炉は、まさにこれからの電気炉で、簡単に説明すると、電子レンジと同じようにマイクロ波で物を加熱するまったく新しい電気炉です。いくつかの場所で、陶芸の世界でも使用されはじめているようですが、素地の芯の部分から加熱するため、非常に短時間で均一に加熱でき、厚いものや大きなタタラ状のものも、割れたり反ったりしないだけでなく、短時間で非常に高温にできるそうです。

電気炉を馬鹿にしている視野の狭い作家に見せてやりたい、と心底思いました。

マイクロウェーブ炉は、まだまだ高価ですが、工場を拝見して、これからの電気炉はさらにさらに進化していくんだ、という実感がありました。

予想以上に長居をしてしまい、共栄電気炉製作所の牛田社長には非常に感謝しております。ありがとうございました。
わたしは、あわてて嫁の実家を出てきたため、名刺を忘れるというとんでもない失態をしてしまいましたが・・・。

さて、予想外の長居のため、瀬戸へ向かうのが遅れ、たのしみにしていた品野のうどん屋さんをあきらめ、コンビニのパンなどを食べつつ(さみしい)瀬戸の村上金物店さんに行きました。

村上金物店は、陶芸の仕事で使うさまざまな道具をその場で手作りしているところです。釉掛け用のハサミ、ひしゃく、ポンス(しまった!買うの忘れた)、特殊なカンナ、石膏用の道具などさまざまなものを売っています。陶芸をされている方ならば、知らなくても一度はここで作られた道具を手にしていらっしゃると思いますよ。

窯屋の作業着を着ていたころからもう何年もたち、このごろようやく、「ああ、福岡の・・・」と言われるようになってきて少し嬉しかったりするんですが、自分の方言のせいというウワサもかなりあったりしてます。

お店のワタナベさんとグダグダとお話して、買い物をし、村上金物店さんもブログをしているというお話をきき、宣伝しますから、と約束して村上さんを辞し、次は梶田絵具店へ。

梶田さんも、お父さんもお変わりなく、元気そのもの、なのがいつも嬉しい梶田絵具店です。

さらに店内にはテストピースが増えていて、これまで以上の充実ぶりです。お父さんも梶田さんも毒劇物取扱責任者などの資格を持っていらっしゃるほど
化学にあかるく、窯業高校専攻科を修了されている方ですので、ゼーゲル式もばっちりです。作家には必要なくても、売る側の人間として製品や業界に幅広い知識と経験があるのは心強い限りです。

しかし、わたしがお世話になったころ、中学生になったよ、とか言っていた子供たちが高校生になったりしているのに、クラクラと眩暈を覚え、思わず座り
込んでしまったのは言うまでもありません。福岡の受講生の方々からの頼まれ物をたくさん買い付け、瀬戸の窯業界のウワサ話などにひとしきり花を咲かせ
て、ふと気がつけばもう夕方。

なんとなく呑みに行こうという話になり、長い付き合いの中で、はじめて二人きりで呑みにいきました。お店の大将に、「せっかくボトルに名前書いたんに、意味あらへんがや。」という量を飲んで終了。たいへん楽しい夜でした。

わたしは結構、地震男で、福岡で地震があったときには、瀬戸で送別会をしていたり、その後も窯を取りに行ったり、里帰りをしたりするたびによく地震があります。今回も呑んで泊めてもらったときに震度5ぐらいの地震があり、さすがにわたしも起きてしまいました。(その後福岡に戻った日にも地震があり
ました)

窯焚きのときに地震がこないよに祈るばかりです・・・・。

さて、翌日はわたしが働いていた築炉メーカー、大澤ガス炉商会さんにお邪魔しました。半分は仕事のことだったのですが、あとは「最近どうや?」みたい
な感じで、社長といろいろ話をしていました。

大澤社長のいつも尊敬するところは、かならず毎回、焼成についてのお話をしてくださり、その内容が長い経験にもかかわらず、すこしづつ新しくなっているところです。こう書くととても偉そうな感じがしますが、本当にいつもそれを感じます。

今回もこれまでと少し違う切り口で焼成の各工程での窯の操作の話をしていただき、大いに勉強になりました。またこのことはブログやこのメルマガで紹介していきたいと考えています。

お昼に味噌カツをご馳走になり、瀬戸をあとにしました。

いつも愛知県にいくと思うのですが、行かなければならないところ、会いたい人がたくさんいて時間がありません。

今回はお盆期間ということもあり、あきらめた場所や人がたくさんあり、残念でしたが、それだけわたしはこの街でさまざまな人や仕事を通して質の高い勉強をさせてもらったんだな、と改めて思い直しました。

そうした人たちの積み上げてきたものを、少しでもたくさんの人に紹介したり、橋渡ししていくのがいまのわたしの仕事のひとつだと思っています。
楽しい「義務」なんですね。

もうひとつ感じたのは、やはりいまどこも厳しい、ということです。
あれ?という街の変化や動向を感じました。

非常に高いレベルで、淘汰がなされている気がしました。いい仕事をしていかなければならないし、それを受け止めるだけの場所や人も減ってきているような気がしています。

わたしはわたしの場所から、できることを確実にしていきたいと思っています。







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2009年06月04日

乾燥のはなし 2


先日、6月の展示会のための制作で、いくつかの作品を、
先週メルマガに書いた方式で乾燥させましたので、そのことを紹介します。

今回は、さまざまな形のものが同時進行していましたので、
すべてを理想的な乾燥方法で管理することはできませんでした。そこで、突起が少ない、かなり厚めの作品は、新聞紙で包んで新聞屋さんからもらったビニール袋に入れ、直射日光の下へ。

こうすることで、作品は、太陽光により暖められて粘土のなかの水分の移動が活発になります。しかも密閉したビニールの中ですから、湿度がかなり高い状態のまま、表面が乾くことなく、芯の部分から水分が抜けてきます。

蒸発しようとする水は、なかなか蒸発できませんので新聞紙に吸われていきます。このため新聞は小一時間もすると、かなり湿ってきますので、またビニールから取り出し、新たな新聞でキレイに包み直します。先ほどのビニール袋は中が湿って、水滴が付いていますから裏返します。

また包んでから直射日光の下へ。

それを一日、いろいろな仕事の合間に繰り返します。
するとこの季節の晴れ間の中では、1日でかなり厚いものでも均一に初期乾燥を終え、その先の段階まで乾燥が進みます。次の日にはもうそのまま外へ出して、白くなるまで乾燥させることができました。

何度も言うようですが、こうした方法を採用するのは、
別に急いでいるからではありません。厚い素地の芯の部分から十分に乾燥させるために、このような方法をとっているのです。
そして結果として、早く乾燥することにもなるのです。

よく大きな作品や分厚い作品をつくったりすると、室(ムロ)
の中で10日間とか1ヶ月とか、ゆっくり乾燥させる、というようなことを伝統系の人の技法書や本には書いてあります。確かにそれが理想的なことかもしれません。しかし、わたしや一般的な人の仕事場ではなかなか難しいことかもしれません。また納期が迫っていることがあるかもしれません。

限られたスペースや時間で作陶する人は、
こうした乾燥工程のメカニズムを知ることにより、もっと合理的で失敗の少ない乾燥工程を施すことができるのではないかとわたしは考えています。

このような工程を経て、日光の下で十分に乾燥させた素地でも、
数パーセントの水分を吸着したままです。いずれにせよ、十分に時間をかけて素焼きをするのが重要です。



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2009年05月21日

乾燥のはなし


5月はとても乾燥していて、仕事もはかどりますね。

前にも書いたと思いますが、わたしは訓練校を修了してからは、築炉の仕事をしていたため、成形の基礎的な技術を身につけてから、実践の場での長期間の修行をしていません。

そのため、制作活動を再開して今日まで、手作りの製陶所や、陶芸作家の下で修行した人にくらべると、身についていることに偏りがあり、いろいろと馬鹿な失敗をたくさんしてきました。

そのなかでも、乾燥にかかわる失敗はとても多く、情けないような恥ずかしいネタがいっぱいあります(笑)。

そういうときには、諸先輩に相談したりアドバイスをもらったりしたのですが、ここだけのはなし、だれでもそういう失敗はあるようです。


知人に頼まれて一日二日、わたしのアトリエに作りにきた人などが、粘土で器などを作るのを見ると、とても上手で驚くことがしばしばあります。センスがある人はいるんだなぁ、と感心することも多いのです。

しかし、そういう一般の人と、プロの陶芸家を厳然と分かつ工程のひとつが、乾燥工程です。

粘土で作るだけでいいのならば、少し練習すれば誰でも手びねりで1メートル以上のものを作ることは簡単です。いやもっと大きなものでも作れるようになるでしょう。

では、そうやって制作したものを均一に乾燥できますか?

特に、大きなもの、複雑な形のものなど、均一に乾燥させるのはひじょうにむずかしいものです。それだけではなく、必要なタイミングでパーツをくっつけたり、削ったりしなければ作品はつくることができません。

もちろん、粘土の種類を選べば、多少乱暴な乾燥でも切れたりせずに作品は作れるかもしれません。しかし、本来は乾燥工程のメカニズムを自分で理解し、作品の水分量を把握していなければ思い通りのものはできません。

陶芸教室の生徒さんで、もう何年も陶芸教室に通っているから、自分はそこそこの理解をしている、と勘違いしてしまうことがあります。しかし、多くの教室では、生徒の制作後の管理を講師がしていることが多く、なかなかつくった作品の乾燥工程を管理する機会はないようです。

わたしもかつてロクロの技術だけを集中的に練習していたときに、自分はこれだけの時間を陶芸にかけているわけだから、自分の理解度はかなり上がってきたのではないかと、はなはだしく勘違いしたことがありました(笑)。

ロクロの技術とこうした乾燥や焼成の工程はまったく別のことです。わたし個人の体験ですが、乾燥は乾燥として、意識していろいろなことを実験してみるのが理解への近道だと思います。

理論も大切です。そしてこうした部分に目をむけたときに、意外と役に立つ技法書が少ないのに気が付くのです。

もちろん修行して、体に覚えこませることも大事だと思いますが、わたしやキャリアの短い人が、諸先輩に追いつくには、理屈というか理論のようなことを積極的に知る努力をすることが必要でしょう。




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2009年04月26日

陶器と磁器は何が違う?


素直な受講生というものは困ったもので、先週せっ器の話をしましたら、

「先生、では陶器と磁器はどうちがうのですか?」

と質問をしてきました。

すかさずわたしは、その話は来週、と逃げましたが、みなさんはこのシンプルな質問に、きちんと答えられますか?


まず、窯で焼くものを総称して、「やきもの」としましよう。

その分類については、18世紀半ばにフランスで科学的な分類を試みて以来、数々の分類法がでたようです。当時の分類では硬軟で行おうとしていたそうですが、現在はほとんど、製品の吸水性によって判断されているようです。

また、日本ではほぼ2種類に分類されています。すなわち、


◆1 石焼・石物・磁器

◆2 土焼・土物・陶器      


・・・になります。


しかし、細かな部分での分類は、個人個人でバラつきがあります。

例えば、石の粉を使ったものを磁器といい、粘土を用いたものを陶器という、という一般的な分類にも実際には矛盾があります。

たとえば粘土を含んだ磁器土もありますし、粘土質のものでも焼成によっては「磁器化」する、というような言い方をする場合もあるようです。

かなり脱線しますが、かつて故芳村俊一氏にあったときに、石灰透明釉の調合を1100℃で焼けば「磁器」になる、といって、釉薬だけで形づくられた、小さな「器」を見せられました。

これは、土と釉薬という、わたしの頭の中の分類された概念を叩き壊すために見せてくれたものですが、釉薬のように、石と粘土が混ざっている土というのはかなりあると思います。
(原色陶磁器大辞典によれば、かなりあるということです)

一つの分類として、例をのせてみます。





                  ┏土 器
                 ┃
            ┏ 土 焼 ┫
            ┃     ┃
            ┃     ┗陶 器
            ┃
やきもの┫
            ┃
            ┃
            ┃     ┏せっ器
            ┃      ┃
            ┗ 石 焼 ┫
                       ┃
                   ┗磁 器




◆土 器   かわらけ・ホウロク

◆陶 器   瀬戸本業焼・粟田焼・薩摩焼など

◆せっ器   万古焼・備前焼・朱泥

◆磁 器   有田焼・九谷焼・清水焼・瀬戸焼(新製)



これは先ほどの、陶磁器大辞典を参考にしました。

わたしの個人的な感想ですが、なんとなく、というイメージでいいのではないでしょうか(笑)

陶磁器の分類法はほかにもたくさんあり、単語としても建築用陶磁器や美術陶磁器などといいます。


みなさんはどのように言い分けをされているでしょうか。
また、違いはなんですか、と言われたら、どのように説明しますか?

こうしたことを調べることは、技術の向上には関係ありませんが、原料などについて深く知ることになり、陶芸にたいする自我関与が高まると思います。
また、その効果もやがては技術に現れることでしょう。




・・・それにしても「有田陶器市」というのは正しいのかなぁ。



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2009年04月22日

b器とは?


先週、講座で、たて続けに「b器と陶器はどう違うんですか?」と複数の受講生に聞かれて困りました。

その後、丁度粘土屋さんに電話する用があったので、これはプロに聞いておこう、と思いました。

「b器と陶器の違いってどげん説明すればよかですか?」

「人によっていろいろ言うことが違うやらぁ」

「はい。」

「適当やて。」

「えー・・・」

と、いうことでしたので、学生以来久しぶりに調べてみました。

まずネットで検索すると、多くのページでb器は有色の土を用いて、無釉か、灰かぶりまたは塩釉であり、吸水性がないといっています。

原色陶磁器大辞典によれば、b器は素地が不透明で気孔性がなくおおむね有色である。無釉のものも有釉のものもある。気孔性のない点で陶器と区別し、不透明の点で磁器と区別する・・・b器という語は1907年(明治40)頃技術家の選定した語で、bはその際の新造字である。

・・・わが国におけるb器の産地は相馬・益子・笠間・常滑・万古・信楽・丸柱・温故・伊部・萩・高取・高田などである。


加藤唐九郎の説明が一番わかりやすいですね。

もう一度まとめると、

不透明で有色であり、吸水性がないよく焼きしまった器、ということでしょう。



しかし、上記の産地の半分ほどに仕事などで行ったことがありますが、b器って言っていたかどうかもう記憶がさだかではありません。また、このブログの読者のかたで、上記の産地で仕事をされている方がいて、もしも「え〜? うちってb器なの〜?」などと疑問を持たれている方がいらっしゃったら、またメールでもしてください。


先ほどの粘土屋さんとの会話ですが、実は当然もっと深い話もしたわけです。
そのなかで、教科書的に分類をすれば、同じ製土場から、陶器の土とb器の土が出荷されているようなことになるわけです・・・。

みなさんはどのように感じていらっしゃるでしょうか。


答えが出たような出ないような・・・。





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2009年02月02日

鉛筆を削れますか?


今年、いくつか不確定な話があるのですが、その中で地元の学校に出向いて出前授業みたいな話があります。

自治体や周辺団体のいろいろな調整が必要なことのようで、まったく確定ではないのですが、話だけはいろいろと伺いました。

アラフォーなどと呼ばれるわたしの世代ではありえないことですが、いまの中学校は美術、という時間はないそうですね。あるけれど、毎週ではないようなお話でした。

わたしたちの小学生時代は、70年代後半から80年代でしたが、毎週美術や音楽があったものでした。ゆとり教育のせいなのかもしれませんが、いまは土曜日も休みだし、授業時間はまったく足りないのでしょうね。

さて、そのお話ですが、昨年は版画家の方が出向いて、木版画をしたそうです。ところが、もうみんな指を切る切る。大変でした、という担当者のお話でした。

つまり、
ほとんどの子が彫刻刀、また刃物を使い慣れていないということでしょう。小学校でやらないのでしょうか。

また、絵を描く機会も、当然わたしたちの世代よりも少ないので、学校側からは版画よりも前に、ものの見方を教えなければならない、という反省が多かったそうです。

じっと友人の顔をみて、わたしたちは「ともだちの顔」みたいな課題で、中学校ぐらいまで絵を描いてきましたよね。ところがもう今ではそういうことが少なくなったからか、中学生でも、ものすごく平面的な絵を描くのだそうです。そして、たまに上手い子がいるな、と思ったら、漫画になっているのだそうです。

当時としては、ちょっと二流の美大にいっていたわたしでも、それなりに対象に向き合ってデッサンをしてきました。レベルはとても低かったかもしれませんが、十代のころにそういう時間をもてたのは幸せでした。

美術を志すことがなくても、わたしたちの世代は高校まで美術がありました。ゆとり教育で削ったところは、そういう部分なのです。

ものを見て、3次元を2次元に置き換える訓練もされず、包丁や彫刻刀で刃物の恐ろしさも知ることがない世代になってきて、簡単に人を刺せるようなったのでしょうか。そんな風には考えたくありませんね。

若くてもしっかりした考えやスタンスの友人もいます。

しかし、子供たちが、刃物の先が身体に入ることも想像できなくなったら、とてもモノづくりなどできないでしょう。

また、いまの子供は火をおこすこともほとんどないでしょうね。

こんなことはこれまでなかったことでしょうから、画家も陶芸家も版画家も、何かニュアンスが変わって認知されるようになってきているのではないでしょうか。

・・・今日、久しぶりに鉛筆を削りました。
まだ10歳にもならないわたしの子供も鉛筆はナイフで削れます。

あなたは最近、いつナイフで鉛筆を削りましたか?

陶芸に関することしか書かないのが、ブログコンセプトですが、今日はルールぎりぎりのお話でした。


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2009年01月07日

今年もよろしくお願いします。


2009年になりましたね。

遅くなりましたが、どうか今年もよろしくお願いします。
ことしもまた、いろいろなことを考えています。

面白い年にしていきましょう。



イノウエセイジ
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2008年12月31日

今年も一年ありがとうございました。

とうとう大晦日ですね。

今年はこのブログをはじめたり、公式ウェブサイトをつくったりと、いろいろな動きがある1年でした。

とくにこのブログに関しては、多くの人に支えてもらいました。感謝いたします。
本当にありがとうございました。

今年最後に、短いながら、書き記しておきたいと思うことがあります。

今朝、わたしと同じ歳の経済評論家の方が、番組のコメンテーターで、若いゲストに、

「わたしたち中年世代が、若い世代を、応援していると感じたことがありますか?」

という質問したのにたいして、若いゲストの子がしばし絶句してから、「ないです。」と答えている場面でした。

それに対して、経済評論家の方は、「そうですよね。」と確認して、本題に入りましたが、わたし個人にとって、その質問自体が同世代から出ることがショックでした。

正直に申し上げると、わたし自身、そんな余裕はありませんでした。

もうしわけありません。

えらそうなブログを書いておきながら、まったくの考えなしです。
反省しました。

わたし自身、そういう組織に属したこともなく、そのような発想がないままにこのブログをスタートしてしまいました。

また、わたし自身が自分の生活が手一杯だと言うこともありました。
しかし、それではブログなどする必要性がありあません。

来年は、ぜひそうした世代を意識して、陶芸をこころざす人に役に立つ情報を出していきたいと、せつに思います。

今年、このブログをよんでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

また、ブックマークをしてくれたたくさんの方々、感謝いたします。特になにも対策をしなかったわたしのブログが、全国の10位以内をうろつくこともありました。

これは予想にもしていなかったことで、心より感謝いたします。

さまざまな経験や、人間関係から、いまのこの時代がとても辛い時代だと認識しています。

それでも陶の道を志すすべての方、特にわたしよりも若い方にさらなる情報を発信していきたいと来年は考えています。

本当に今年1年、ありがとうございました。





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2008年12月25日

人間の感覚


わたしは滅多に上絵や金彩はしませんが、そうした作業や作品は好きです。

先月注文をもらったものの中で、かなり自由にやらせてもらえるものがあったので、シリーズの一つに金彩をすることにしました。

フリーカップのようなもの数個に金彩をして、100Vの電気窯で焼き付けます。

しかし、どうも焼き上がりが変な気がする。
どこがどうという事もないのですが、あまりに久しぶりにする金彩なので、ノートを確認すると、設定温度が5〜60℃違っていました。(やり直しました)

といっても、問題はないのですが、この時に感じた、どうもおかしいという感覚は、一体どこからくるのでしょうか?

記憶の中にある温度と実際に窯の設定温度の違いからくるのか、それとも仕上がりの金の色でそう感じたのでしょうか?

わたしの場合前者のような気がしますが、以前こんなことがありました。

嫁の作品を彼女の勤めていた製陶所の社長さんに見せたところ、少し焼きが甘い、と言われたのです(それは親指大の小さなお雛さまでした)。そのときの窯焚きは人形がほとんどだったので、実は少し横着をしていてSK7よりも少し弱いくらいで火を止めていました。

まさかそれを指摘されるとは思っていませんでしたから、かなり驚きました。何十年も製陶所を経営してこられた方々の眼力には、驚かされることがそれからも多々ありました。どんな世界でもそれで飯を食っている人というのは凄いものです。

それにしても人間の感覚とはなんと鋭敏なのでしょう。

見ただけで、焼きが甘いとか、調合がどうだとかわかるのがすごいと思いませんか。こうした話は、スポーツや職人の世界ではいくらでもでてきそうです。

わたしはいつもこのブログで、理屈っぽいことばかりを書いていますが、そうした左脳的アプローチが目指しているのは、実はこうした右脳的能力の覚醒のためかもしれませんね。

2008年も暮れていきますが、のこり数日も、そして来年も、さらなる知識と技術を求めていきたいと思います。


メリークリスマス。



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2008年12月10日

七輪陶芸


七輪陶芸で有名な吉田明さんが先日お亡くなりになったそうですね。
まだ60歳だったそうで、その早すぎる死に驚いています。

わたしの瀬戸の友人は会ったことがあるそうですが、わたしはなんの面識もありません。そういう人間がブログに書くというのもなんですが、わたし個人はとても思い入れがある陶芸家なのです。

瀬戸で、仕事と家庭とにはさまれて、思うように作陶や勉強ができなかったとき、七輪陶芸、というタイトルの本はショッキングでした。

思わず本を買って、次の週末には七輪を買っていました。
福岡の友人が訪ねてきてくれたときに、一緒に借家のバルコニーで本を見ながら七輪陶芸をしました。

たしか、半分ぐらい割れたという記憶があります。それでも、楽釉ではない普通の釉薬が溶けましたから、かなり温度は上がったとおもいます。

とても2時間ではできないし、どこでもできるものではないな、と思いましたが、ここではなんにもできない、という鬱屈した気持ちが晴れ晴れとしたことを強く覚えています。

わたしはその後、絵具屋さんに教えを乞いながら、楽釉を調合したり、友人とオーブントースターを分解して電気炉をつくったり、酒屋の友人の利き酒のイベントで楽焼体験を企画したり、一気に低火度釉に手を染めていきました。

そのすべてのきっかけは、ある意味、吉田明という人の本だったと思います。

わたしとしては、友人の家にあった粉引きの本の顔と、その後の七輪や紙窯のときの顔の表情のギャップにいろいろと思うところがありました。

おそらく、尋常ではないスピードでいろいろなことを実験したりしてこられたのだろうと想像しています。

こちらで地元の友人が、古本屋にあった、といってやきものの本をたくさんくれたことがありました。その中に吉田さんの縄文陶芸の本もあって、いま市の考古学関係の方にお貸ししていますが、その説に大変興味をもたれていました。

そのように、実践をともなった吉田明氏の発表に、いつも感心していました。考古学と陶芸の懸け橋みたいな存在になっていかれるのかなぁ、となんとなく思っていましたが、突然の訃報に一読者として驚いています。

なんでも新しい土地での作陶をいろいろ計画されていた最中のことだとか。残念です。

ただ、きっと多くの人に種をまいていかれたことだけは間違いのないことだと思います。

年明けに楽焼をしますが、吉田さんの本に出会っていなかったら、楽焼などやっていなかったでしょう。




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2008年12月09日

他業種の人と

先日、ビストロを経営している友人と、車での移動の間、長時間話す機会がありました。

彼の料理は、大変美味で、しかも気取らないビストロ、町の洋食屋さんという店構えです。プライベートでも、率先して料理番を引き受けてくれ、イベントやキャンプでのバーベキューなどでも、たくさん美味しい思いをさせてもらいました。

「このソース、おいしいね。」と言えば、「これは赤ワインが1カップに、・・・」とレシピをなんでも教えてくれます。

そのことを先日の車中で話していたのですが、彼もわたしと同じで、そうした情報をオープンにすることに、なんの抵抗もないそうです。教えても、同じようにはできないから、ということでした。

また料理の場合、口で説明できない、1,2秒のタイミングがあるそうで、それはもう、口では説明できない部分だそうです。(似たようなものは陶芸にもありますね)

技術には、そういうことの積み重ねがあるから、なかなか同じものはできない。だから、レシピをオープンにすることになんの抵抗もない、ということでした。

レシピをオープンにしてもらった、わたしの側からみれば、まずオープンにしてもらえることに感謝しますし、レシピから、そこまで手をかけているソースなのか、と驚きますし、(メモをしましたが、複雑なので、まだつくってません)彼の株は上がるばかりです。

同じようなことは、きっとどの世界でもあると思います。また残念ながら、情報を公開しても、意外と人には通じません。教え方や、伝え方に問題もあるでしょうが、実際、情報公開することを、恐れることはありません。

むかし習った書道に例えれば、「どんな硯に水何ccをいれ、どの墨で何回摺り、さらに、どんな筆を使い、どの紙に書くのか」、が秘密の部分でしょう。

しかし、紙に書く文字は、例えば「あ」と決まっています。

「あ」という文字を上手に書く技術は、単純に努力の部分ですし、さらにそこにセンスが加わりますから、相手が自分の「秘密」を知ったとしても、そうそう同じような文字は書けません。

かりに同じように書けても、書けなくても、自分のプラスになります。なぜなら、同じように書ければ、オープンにした人の、情報の質の高さを尊敬しますし、書けなくても、その技術の高さを、改めて高いレベルで理解してもらえるからです。

陶芸の世界の住人は世界が狭いとよく言われます。
わたしもいつも、それについては反省しています。ですから、迷惑もかえりみず、他業種の友人・知人にはぶしつけな質問や話題をふって、我が身の肥しとしています。

みなさんにもそんな他業種の友人・知人がいますか?




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2008年12月06日

コメントとメール


先日、まったく同じ日に記事へのコメントと、海外から励ましのメールをいただきました。

発信する側として、こうした反応はとても嬉しいものです。特に、わたしのこのブログでのスタンスでは、そうした反応を得にくいだろう、と予想していましたから、見知らぬ人からのコメントや、励ましは、あたたかく心に染み入るような気がしています。

伝統の世界で作陶する人も、個人で作陶する人も、独学の人も、作る人間というのは、常に新しい自分を探し続けて行かなければいけないと思います。それはテクニックの向上や、作風の変化ということではなく、あたらしい考えかたや、実験などを通して、自分をプッシュアップしていく、ということかもしれません。

陶芸家だからこれこれは知らなくてもいい、ということはないと思いますし、何をするにも心のどこかで自分の仕事につなげていることが必要ではないのか、とわたしは考えています。

「芸術家とはすべてを知る者だ。」と、ある方に言われたことがあります。陶芸家もそうなのかもしれません。多くの人が陶芸に興味をもつのは、間口が非常に広くて、奥行きも深いからでしょう。しかし、その広い陶芸の世界で、発信している人は何人いるのでしょうか。

先日、オークションサイトを閲覧していたら、「窯」を「釜」と延々と書き間違っているページがありました。また、明らかに七宝用の電気炉を、陶芸用だとうたっているものも、多数ありました。

そういう現状に、わたしはほんの少し前まで、通じ合う同業の友人と、酒席で愚痴をこぼしているだけでした。

しかし、それでは何も改善されないことに気付いて、発信することを真剣に考え、ブログで発信するようになりました。そうしなければ、「窯」は「釜」にされて、1000℃ぐらいにしか温度の上がらない七宝用の電気炉を、陶芸窯と認知されてしまいます。

残念ながら、もう発信していない人間を積極的に見つけて、評価してくれる時代ではなくなってしまったと思います。いつか、仕事が認められ、とんでもないスポンサーが現れたりする時代は終わっているのです。


わたしも不安いっぱいですし、家族も、ブログなどお金にならないことをして、と思っているようです。しかしそれでも、もう発信するということを、だれも無視できない時代になっているような気がします。



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2008年11月27日

陶芸に関する呪縛


わたしが陶芸の世界に本当に身をおいてから、10年以上たちます。

その間に、たくさんの知識や経験から、自分勝手な常識のようなものを身につけているようです。

独立してから、数年になりますが、毎年毎年少しずつ、それらを剥がしていくように努力していますが、それでもたくさんの思い込み、刷り込みがわたしの頭の中にあって、ときにはそれに苦しめられることがあります。

陶芸を続けている方々、とくに、プロと呼ばれている方はどうなんでしょうか。

伝統工芸の世界にいる方と、わたしのように個人作家として活動している人では、まったく考え方が違うでしょうし、ある意味敵対関係なのかもしれませんね。

たとえば、ロクロにかんする呪縛。

電動ロクロよりも、手ロクロ、蹴ロクロのほうがいい、というもの。もしくは、いいものは、電動ロクロではできない、というような言い方。

聞いたことありませんか?

こちら側代表として、ここに断言しますが、そんなのまったくウソです。

電動ロクロを使用すれば、手ロクロでは絶対に回せない硬さの土を回せます。ありえないぐらいのスピードで作れます。電気のパワーとスピードもだせるし、手ロクロのようなゆっくりとした回転も作り出せます。

しかしなぜ、こうしたことを手ロクロの人にたいして言えないのでしょうか。なんだかちょっと雰囲気負け、みたいな気持ちにされるのはなぜでしょうね。

このあたりが伝統工芸の長年の勝利ということでしょうか。

誤解のないように言っておきますが、わたしは伝統工芸の陶芸、好きです。買いますし、使います。

ただ、それと、自分がしている仕事をごちゃごちゃに誤解していたように思います。また、今も混沌としている部分はあります。

雅楽とロックぐらい本当は違うと思うのですが、そのエレキギターのやつ、こっちの能楽堂にこい、と言われることがたまにありますよね。

土俵がぜんぜん違います。

このお話、書いてるわたしも考えながらで、とても楽しいので、また書きます。

突っ込みやご意見もお待ちしています。


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2008年11月21日

100円ショップの器よりも


先日、よく電話で話をする、神奈川の先輩陶芸家の方に聞いたはなしです。

共通の知人である陶芸家のことです。彼は各地のクラフトフェアなどに車で器をもっていきテントなどで数日間売る、という商売が多いようです。

かつてわたしも駆け出しのころそうしたお祭りや、イベントに友人と出店したことがあります。正直、わたしはあまり売れませんでした。それに、安いものを買いに来る人がほとんどで、そうした人の渦にのまれてしまいました。

まだ自分の窯もない、6,7年前の話です。

以前、100円ショップの話を書きました。

↓ 10月14日 「トンネルキルン」
http://inoueseiji.sblo.jp/article/21129806.html

そのとき、100円ショップに出ている器の原価は製造工場出荷時で10円以下という話をしました。
100円ショップの器は、手作りではありません。機械を使用しても、人間の手で仕上げ工程をすれば、素人には手作りのように見えますが、それさえもされていません。

100円の器でいい、という人は仕方ありませんが、陶芸家としては、まあ、それほど恐れることもない(怖いですけど・・・)と言っておきましょう。

ところが。

話は戻って、知人が先輩陶芸家にこんな話をしたそうです。

いま、中国製の「手づくり」の器が、彼らの舞台であるクラフトフェアの世界にもでてきたそうです。
売値は数百円。見た目からするとかなり安い。しかも、完全に手づくり。

これは想像ですが、焼成温度を抑えてある100円ショップの器とちがい、きちんと高温で焼いてあるのでしょう。中国の工場のアドバイザーは国内の窯業界で仕事がなくなった日本人かもしれません。
器は日本人好みの作風だそうで、パッと見たところ、彼も、おや、これ安いな、と思ったようです。

とうとう、そうした器が出回り始めました。

彼は思わず、わたしたちは、これから何を作ったらいいのか、と先輩に聞いたそうです。


これからますます、陶芸家がなにをすべきかが問われていくのだろうと思います。




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2008年11月17日

どうやって売るのか


作品を売って、収入を得るのが陶芸家です。

とはいっても、その他に陶芸教室や、窯業関連の仕事など、さまざまな収入源を持つ人も多いのではないでしょうか。

先日、二日間、地元のレンタルスペースで夫婦で作陶展を開催しました。
新築の喫茶店のようなとても素晴らしい空間で、しかもそこの隣は、母や嫁がお世話になっている美容室です。二日間、美容室のお客さんも、たくさんママが連れてきてくれました。その場所のオーナーの方も友人を呼んでくださいました。本当にありがたいことです。

わたしはその場所を中心に歩いてこれる範囲に千数百部ポスティングしました。幸いそこはマンションがとても多くて、たくさんの人が住んでいるところですので、半径100メートルほどでチラシはあっという間になくなってしまいました。

そして、たったの千数百部で、たくさんの新規のお客さんが来てくださり、そして買ってくださいました。また、遠くの友人に知らせてくださったり、連れてきてくださったり、嬉しい誤算がたくさんありあました。また、いつもいつも買ってくださる方や、差し入れをくださる方など、嬉しいやら恐縮するやらの二日間でした。


こうした地元に根ざした作陶展をこれから定期的に行っていこうと思っています。

尊敬する先輩の一人から、地元で陶芸家といえばイノウエ、と言われるようにがんばりなさい、と言われました。公募展などのことを相談していた時でしたので、この言葉に足元をすくわれるような気がしました。

彼の活動の仕方を思い、そのときの自分の考えていることと比較しました。当時の考えは、思い上がりも甚だしく、恥じ入りました。自分の足元をしっかり見つめて、作品を展示していくことが大切なのだな、と痛感しました。

大きな展覧会に出品したり、都心の一等地のギャラリーで個展をするのも大切ですが、自分が生活している地域のかたがたに認知されることや、意見をいただくことも大切だと思っています。

また、子育ての中心的な役割を果たし、なかなか、制作時間と発表の場を与えてやれなかった、妻の作品が多くの方々の目に触れる機会ができて、嬉しく思いました。

厳しい時代ですが、作家のみなさん、これからもがんばりましょう。



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2008年11月06日

動画で確認


先日、妹の所から、ビデオカメラを借りてきました。

ふと思い立って、三脚につけて自分の自転車競技での技を撮影してみると、案外思っていたのとはまったく違うポジションで乗っていて驚きました。

これはまずいと思い、仕事の様子などを撮影してみると、ゆっくりやっているつもりでも、非常に手が早く動いていて、びっくりしました。

自分はゆっくり説明している、とこれまで講座の中では思っていましたが、あらためなくてはいけないなと思いました。また、個人の仕事としても、そんなに急いでやることもないな、と思うこともありました。

技術ですから、早い遅い、多い少ない、とどうしても無意識に考えているのかも知れません。また、これまでの職歴から、わたしはどちらかといえば職人気質の職場が多かったのも影響しているのかもしれません。

土練りやロクロではなるべくたくさんの粘土を扱う、ロクロは早く回す。少しでゆっくりよりも、たくさんで早いほうがえらい・・・。

こういう考えは、過去の男性の受講生に多かったのですが、わたし自身も同じく、ゆっくりだったり、少しだったりするのはかっこ悪い、と無意識に思っているようです。

よく、デモなどで、そんなに大きなお皿つくらなくても、というようなロクロを見聞きしましたが、あれも同じようなことでしょうか。

陶産地などでは、きっとだれそれが何センチの皿を挽いたとか、張り合っていたりするのでしょうか(それはそれで必要ですよね)。

職業ですから、そういう部分も大いに大切だとは思います。

公演をするような職業の人が、移動中の車のラジオの中で言っていたのですが、自分が思っているよりもゆっくりしゃべることが大切だと話していました。

スポーツの世界ではよくいいますが、陶芸の世界でも、動画で自分を確認すると、勉強になるかもしれませんね。


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2008年10月27日

夫婦で作陶


わたしの妻も陶芸家です。といっても、陶人形作家です。

こどもの手がはなれてきて、少しずつ仕事をするようになってきましたが、まだまだです。

わたしはどうも、旦那がロクロで嫁が絵付け、というのができません。こういうところが美術を学んでしまった人間の哀しいところかもしれませんね。

わたしが食器や窯のことをしていて、嫁が陶人形をしているというのは、精神衛生上すこぶるいい方向に働いているような気がします。

これでお互いが食器をつくっていたり、人形をつくっていたりすることを考えると少しぞっとします。

おたがいに、制作活動があって、そこは干渉も意見もしない。そのかわり、相手の得意分野に関しては意見をもとめるし、尊重する。助けてほしい時は手伝い合う、という形に自然となりました。

そして、お互いに相手が自分の仕事をしたほうがいいものができそう、などと思っています。

夫婦で同じ仕事にむかうというのも、あこがれないわけでもありません。

むかし、丹波の友人の家に滞在した時、お父さんがロクロでつくった素地にお母さんがシノギを入れている光景を見ました。シノギをいれるのが女性の仕事だそうです。(彼のウチだけかもしれませんが)

低い作業台の前にしゃがみこんで、黙々とカンナでシノギを入れるお母さん。
その奥さんの手元を、丸イスに腰掛けて、タバコをくゆらせながらじっと見るご主人。いいとも悪いとも言わない。奥さんもなにも言わないで淡々と手を動かす。

一日仕事をしてあたりは夕暮れです。蛇窯のある丘のほうから日暮の声。タタキに寝そべる看板犬のハスキー。なぜだかとても目に焼きついています。二人がかっこよかったですね。

また、講座にも夫婦で来られている方がいらっしゃいます。そういうのもまたいいですね。

今週から、メルマガの配信がはじまります。

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2008年10月21日

楽焼その後


日曜日の楽焼は、快晴に恵まれて暑いほどでした。

楽焼は、低温釉を短時間で焼きます。
そのため、普通の釉薬と調合がちがいます。フリットや、唐白目などをつかいます。

鉛が使われる釉薬の安全性などについては、占領下の時代から、相当の研究がなされていたようです。しかし、鉛のよさ、というものも存在しています。独特の質感とマチエールはなんともいえないものがあります。

今回のイベントでは、無鉛のフリットをベースにしました。
また、レンジの使用など普通の器のようにはつかえない、という説明もしています。

春秋2回連続で参加してくれた方は、なんと前回の作品を検証して、今回ものすごく美しいラスターを出していました。悔しいです。が、嬉しくもあります。

さて、フィンランドの女子高校生は、まさに絵に描いたような北欧の美少女でしたが、長丁場の楽焼会ですこし暇をもてあましてしまったようでした。(これはわたしではなく、主催者側の問題でしょう・・・)

わたしはもっといろいろと話たかったのですが、窯の面倒を見ているばかりで、あまり国際親善できませんでした。しかも、割れる危険性が高すぎるよ、と説明していた無垢の作品を、本人はやりたいというので頑張って素焼きにまわしましたが、結局ハゼてしまいました。

しかも、もみがらで炭化させてみますか、と聞いて試したお皿も、本人が思っていないようなキラキラのラスターっぽいものになって(わたしとしては成功)、周りは歓声を上げていましたが、本人としてはいまいちだったようです。

陶芸の体験自体、初めてだったようで、楽焼の体験を感謝してくれるのは、もっと大人になってからかもしれませんね。



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